主の年2024年新年聖餐式礼拝でした。2024.1/7(日)

≪今週のみ言葉≫
   「あなたは祝福となりなさい。」創世記12章2節
 説教題:『祝福への招き』   聖書:創世記12章1~7節
 主の年2024年、明けましておめでとうございます!早くも7日目となり、今年最初の聖
日礼拝では、今年の教会聖句の旧約より、次週は新約よりメッセージを取り次がせて頂
きます。その次からは『牧羊者カリキュラム』に準じていきます。
 元旦早々の能登での震度7の地震、死者は4日時点で84名にもなり続いて2日㈫には羽田
での飛行機事故と、前代未聞のニュースに心痛み、新聞に目をやりながら涙しました。
神の恵みに預かる私たちの祈りが求められていることを覚えました。さて、「信仰の父
」と呼ばれるアブラム(のちアブラハム)への『祝福への招き』から、霊の恵みに預か
りましょう。
Ⅰ.祝福の神からの『祝福への招き』 アブラムの父テラの歴史が11・27~32に記されてい
ます。テラはカナンに至ることなくハランの地で死んだとあります。父の召天という言
わば人生の危機の中でアブラムは、主のみ声を聴きました。(12・1~3)。①「あなた
の土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」懐
かしい地を離れて、神が示される地への移動の招きでした。 ②「そうすれば、わたし
はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あ
なたは祝福となりなさい。」(2) それはまさに『祝福の招き』でした。また招き以
上に『あなたは祝福となりなさい』という命令でもありました。③「わたしは、あなた
を祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによっ
て祝福される。」(3)なんというとてつもないスケールの大きさ、実質の伴う『祝福
への招き』であったことでしょう!祝福の神から祝福されている存在の重みを覚えるこ
とです。その存在を敬い、祝福するということは、その人をそのように選ばれ招かれた
祝福の神への、その人の態度のあらわれ以外の何ものでもないということになるのです
。<地のすべての部族>への祝福の広がり、とは!
Ⅱ.祝福の神への『従順の報い』 「アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った
。」(4) それほど簡単なことではありませんでした。距離的にも相当なものであり
、「すべての財産と、ハランで得た人たちを伴って」(5)とあります。聖書地図で見
れば、800km~1,000kmほどの道のりで、ハランからシェケムに到達します。しかし
、<祝福の神への『従順』>そのものこそが
神の喜びでしたでしょう。それはまさに真実な祝福の神への真の≪信仰≫のあらわれでし
た。「ハランを出たとき、アブラムは75歳であった。」(4)「信仰によって、アブラ
ハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに
従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。」(ヘブル人への手紙11・8)<私た
ちの日々の目覚めも、言ってみればこのたぐいです。ーどこに行くのかを知らずにとい
う。全く神に信頼し切って、出て行きたいものです。>(My Utmost for His
Highest. O.チェンバーズ 1/2分)


  <お知らせ>
▶「今月のメッセージ」「1月のお祈り」「ヘッダー(ビオラ)」が新年に入って更新されています。
▶元旦、2日と大変な事態となり近隣からの支援と共に九キ災の方々を初めとし早速に救援にかけつけておられることを知り祈ると共に義援金の送金を願っています。

▶主の2024年頂いたみことばのようにアブラハムにならって「主が告げられたとおりに」行動して一人一人が教会で家庭で職場で地域で「祝福の基」とされますよう祈ります。

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年末感謝礼拝でした。2023.12/31(日)

 ≪今週のみことば≫

「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

                                 ヨハネの福音書8章32節

説教題:『解放者キリスト』   聖書:ヨハネの福音書8章31~38節

 イエス様は、集まってきたユダヤ人たちに「罪を犯す者は罪の奴隷である。」と言われたのです。そこでユダヤ人たちは「我々は奴隷ではなく自由人だ!」と反論したのです。しかし、イエス様の目から見るとすべてのユダヤ人は神の律法を守らない罪人でした。その罪を犯し続け、いまではそれが罪だとは感じられなくなり、それから離れられなくなってしまったのです。これが罪の奴隷です。私たちも同じく滅び行く運命にありました。

Ⅰ.罪の奴隷からの解放 神様は哀れに思い、救い主を送るとの約束を下さいました。それがイエス・キリストでした。しかし、私たち異邦人には遠い存在でした。それでも幸いなことに、この福音を伝えてくれる人がいたのです。そこで初めて神を知ったのです。「なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いてくださることとを、必ず信じるはずだからである。」ヘブル116 にあるように神様の存在を知り、そのことを信じることにより、罪の奴隷の縄目から解放されるのです。解放は神の生きて存在する神様の存在を認め、知る事から始まるのです。救いは救い主である神を知る事なのです。

Ⅱ.解放者イエス 主イエス様は、「真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」ヨハネ832と言われました。私たちは罪の呪いからは解放されました。しかし、私たちは完全に自由なのでしょうか?例えば、生まれながらの運命、男、女性、また障碍等、さらに負わされた責任、また重荷に縛られ苦しんでいませんか?イエス様は「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイ1128 と言われました。本日の説教者である私は、信仰的な問題で苦しんだ時、「主に会いたいのです。」と何日も祈り求めました。するとある夜、圧倒的な臨在感をもって現われてきて下さいました。そのことにより現実に生きた主を体験的に知ったのです。また愛の主、真実なお方であることも知ったのです。それと共に重苦しかった心が晴れ渡り、完全に自由に解き放たれていました。この事から「真理=イエス・キリスト」を知れば知るほど魂に自由が与えられることを知りました。聖書は「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」詩篇4610と、また、「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。」ヤコブの手紙48 とあります。主は私たちにもっと深く知ってほしいと望んでおられるのです。そして更なる自由を持つ聖徒となることを望んでおられるのです。新しい年は、更に主を祈り求め深く知る者となりたいものです。

▷2023年、最終日が最終聖日となりました。礼拝でも、一年の感謝を心いっぱいささげましたが昼食後、13:00~「年末感謝祈祷会」をもって、更なる感謝を主におささげします。また互いの感謝を共有し、神様をたたえ、希望をもって主の年2024年を迎えたく思います。

▷本日中には、「今月のメッセージ」「1月のお祈り」そして、ヘッダーも、2024年、教会に与えられた聖句と共に更新されます。

▷この一年も祈りとご愛をもって、私たちのホームページをお支え下さり、心よりありがとうございます!2024年もよろしくお願いいたします。宣教のために用いられますよう、お祈り頂ければ幸いです。

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クリスマス合同礼拝でした。  2023.12/24(日)

≪今週のみ言葉≫

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」マタイの福音書2章2節

   説教題:『王なるキリスト』   聖書:マタイの福音書2章1~22節

12/19㈫の読売新聞・編集手帳の記事の一部です。「解説の音声の作用か、プラネタリウムで眠くなる人は多い。だが兵庫県明石市の市立天文科学館長 井上毅さんはこう話す。『人間は太古の昔から、星空を眺めながら眠ってきた。本能だ。』プラ“寝た”リウムだからでもない。」 しかし聖書のここに登場する博士たちは目覚めていた人たちでした。「主は星の数を数え そのすべてに名をつけられる。」(詩篇147・4) 「ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本のつえが起こり、モアブのこめかみをすべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。」(民数記24・17)この民数記の「一つの星」の預言は、ベオルの子バラムによって告げられたメシア(救い主)誕生の預言でした。

Ⅰ.不思議な星の出現と導き 「見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。」(1)「東の方」とは、【大規模なユダヤ人社会が形成されていたバビロンが有力な候補である。いずれにしてもユダヤの宗教・文化が広く知られている地域であり、博士たちもその影響を受けていたのだろう。】(『牧羊者』p.79) 聖書には博士たちが何人であったかは記されていません。贈り物が、「黄金、乳香、没薬」(11)と印されているところから3人とされてきてはいますが、贈り物も、口語訳や文語訳では「黄金、乳香、没薬など」とありますので、それら以外の礼物もあったかもしれません。王の誕生の星を見た彼らは、当然エルサレムの都、ヘロデ王の宮殿を訪れました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(2)「ユダヤ人の王」とは「救い主」を指し示す言葉ですが、ヘロデ王は、それを「キリストはどこで生まれるのか」と問いただしました。預言に基づいて待望されてきたお方でした。民の祭司長たち、律法学者たちは、ミカ書5・2の預言を引いて(6)「ユダヤのベツレヘム」と答えました。ヘロデ王は、星の現れた時期について詳しく聞き、知らせてくれるように、自分も拝みにいくと言って、博士たちを送り出しました。この間、「星」は姿を消していたのでした。博士たちが出て行くと、再び星は現れ、彼らを幼子の居るところまで導いたのでした。「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」(10)のでした。

Ⅱ.王なるキリストへの礼拝 「星」がその上にとどまった所はもちろん家畜小屋ではなく、「家」でした。8日目に幼子に割礼をほどこし、名をイエスと名付け、男の子の誕生の場合のきよめの期間33日間をベツレヘムの家で過ごしていました。博士たちは「母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金(イエスの王権)、乳香(イエスの神性)、没薬(イエスの受難)というふさわしい捧げものを献げて礼拝しました。今もまた永遠に世界の王であり、私の王であられるお方にふさわしい礼拝を聖日ごとにおささげできますように。(ローマ人への手紙12章1節)

  <お知らせ>

▶本日の「博士たちの礼拝」は、私たち「異邦人」の礼拝の先駆けでした。真の礼拝者として生涯生かされ、やがて天上での礼拝の限りない光栄にあずかりたいものです。

▶2024年元旦は月曜日となりますので、あるいは教会に集っての元旦礼拝をされない教会もあることでしょう。ご参考までに御案内いたします。

元旦11:00より、YouTube視聴にて教団委員長 井上義美師からのメッセージを頂いて新年をスタートできます。「須賀川シオンの丘チャンネル(ライブ中継)」タイトルは「元旦合同礼拝2024-01-01(日本イエス・キリスト教団有志教会)」で検索。あるいはチャンネル検索してライブをクリックだけでもO.K.とのことです。良い年末年始を!

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第Ⅲアドベント礼拝でした。  2023.12/17(日)

≪今週のみ言葉≫

「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」マタイの福音書1章21節

   説教題:『マリアとヨセフ』   聖書:マタイの福音書1章18~25節

「クリスマス」とは、「キリストーマス・キリストの祭」で、主役はもちろん神の御子イエス・キリスト様です。しかし、その誕生のためのあまりにも重大な脇役の務めを委ねられ、全うした『マリアとヨセフ』の信仰と献身に思いを馳せてみたいと思います。お互いに同じ「人」として。

Ⅰ.マリアへの受胎告知(ルカの福音書1章26~38節)

「その名は『不思議な助言者』」(イザヤ9・6)と呼ばれるお方の誕生をめぐって、まさに数々の『不思議』が展開されます。不妊の女だった祭司ザカリヤの妻エリサベツが、子(バプテスマのヨハネ)を宿した。その6ヵ月後に「御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。」(ルカ1・26)「異邦の民のガリラヤ」(イザヤ9・1)です。「この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。」(27)御使いはマリアに、「おめでとう、恵まれた方、主があなたとともにおられます。」(28)と挨拶し、彼女が身ごもって男の子を産むので、イエスと名付けるように、その子はいと高き方の子と呼ばれますと、明らかにユダヤ人たちが待ち望んできた「メシア」を産むと予告されたのでした。人として、不可能としか思えないことも「神にとって不可能なことは何もありません。」(37)と語られ、エリサベツのことも告げられ、マリアは答えました。「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と。言ってみれば、<命がけの信仰と献身>でした。

Ⅱ.ヨセフへの夢告知(マタイ1・18~25)

ユダヤ人に向けて記されたマタイの福音書の著者マタイは、1~17節の系図から始めます。ユダヤ人にとって系図は重要なものでした。そして、メシアは、ダビデの家系から誕生するはずでしたから。婚約者マリアの身に起こった出来事、「処女が身ごもっている」ことを知り、正しい人ヨセフ、マリアを愛するヨセフの苦悩は計り知れないものでした。「ひそかに離縁しようと」人間的に思ったのでした。ところが、「主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。』」と。「ダビデの子」と呼ばれているお方は、イエス・キリストとここヨセフのみです。マタイはイザヤの預言、「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。と記します。ヨセフは眠りから覚めて、主の使いが命じた通りにしたのでした。【ヨセフがイエスの父というのは名ばかりのことでは決してない。ヨセフはその従順な信仰によって、イエスの単なる名目上の養父ではなく、彼にダビデの子孫としての地位を与える重要な役割を果たす、地上での父親とされたのである。】(『牧羊者』p,73)【救い主に対する当時の一般的な期待は政治的な救いであったが、イエスがもたらす救いは「罪から」の救いなのである。】(同p.74)「目で見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は神を愛する者たちに備えてくださった。(コリント第一2・9、イザヤ64・4)。

  <お知らせ>

▶今月は10日ごとに「ヘッダー」が更新されています。

▶ 礼拝後は昼食の後13:00~14:00、「歌声カフェ⑥」が開催されます。クリスマスの代表的賛美♪きよしこの夜、いつどのようにして生まれ、賛美されてきたかを知って、心よりクリスマスの主をたたえたいです。

▶次週12/24㈰は、いよいよ『クリスマス礼拝』の聖日です。全世界の教会で、救い主御降誕の感謝がささげられ、まだ真のクリスマスをご存知ない多くの方々に伝えられますようにと、心よりお祈り致します。

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第Ⅱアドベント礼拝でした。2023.12.10(日)

≪今週のみ言葉≫

「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」イザヤ書9章6節

   説教題:『メシア預言』   聖書:イザヤ書 9章1~7節

 続いて、イザヤによる『メシア預言』です。1節の辱めを受けた地、「ゼブルン」と「ナフタリ」は、ガリラヤ湖西北にある地方で、B.C.734~732年、アッシリアの侵入によって大打撃を受けた北王国の領土でした。その南に位置する「海沿いの道(メギド)」「ヨルダンの川向う(ギルアデ)」、「異邦の民のガリラヤ」は栄誉を受けるとあります。その地に「大きな光」が見られ、「光り輝く」(2)と言われます。この光はメシアを指します。【「見る・・・輝く」言語では完了形。預言者的完了と呼ばれる。実際は将来のことも、預言者の目には既に起こったことのようにはっきりと見えているのである。】(『牧羊者』P.67) その光として来られるお方がどのようなお方かが、6節に記されています。

Ⅰ.ひとりのみどりご 暗闇の地、死の陰の地にお生まれになる「ひとりのみどりご」です。【ある日、赤ちゃんが若いお母さんの背に負われている姿を見かけました。ぐっすりと眠っています。頭をお母さんの背にもたせかけ、両腕と両足は、お母さんの歩みのリズムに合わせて、ぶらぶらと揺れていました。全く委ねきった姿でした。みどりご ー自分では何一つできない存在。全面的に母に依存している存在。全能なる神のひとり子なるお方が、何ひとつ自分ではおできにならない存在となり、マリアとヨセフに、いえ、神のみこころと御手に全面的におゆだねになったのです。】(『神と共に歩む日々』12/1分より)このみどりごが「私たちのために」生まれ、男の子が「私たちに」与えられました。「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。」(口語訳)

Ⅱ.その名は「平和の君」  「主権はその肩にあり」この方は、王の王、主の主なるお方で、全世界、全宇宙、全歴史を治められると共に、まことに小さな私の生涯をも、良きに統べ治めて下さるお方なのです。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)何という信仰の幸い!「不思議な助言者、力ある神、永遠の父」と、味わえば圧倒されます。そして「みどりご」の姿に反映されている「平安」を思う時、特質のクライマックス(頂点)が「平和の君」でしょう。一つには、このひとり子キリストご自身に内在される「神の平和」(ヨハネ8・29)、もう一つには神との平和を回復して下さる唯一のお方(エペソ2・14)。さらには人々との平和を保ち、平和をつくり出す神の子とさえされるのです。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイの福音書5章9節)。

  <お知らせ>

▷12/3(日)第Ⅰアドベント聖日の夕、「クリスマスイルミネーション点灯式礼拝」を行いました。以後、毎晩17:00~22:00ツリー型のイルミネーションと、礼拝堂の壁に大きな星がキラキラときれいに輝いています。クリスマス前になぜ「電飾」?と思われる方がおられたら、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネの福音書8章12節)と言われたキリストが、救い主としておいで下さったのだと知ってほしいと祈ります。

▷今も暗闇の世です。このアドベント・クリスマスに「まことの光」なる救い主キリストと出会い、新しい人生に入られる方々が、諸教会を通して起こされますようお祈りします!

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