♪春は名のみの風の寒さや♪  2024.2/11(日)

≪今週のみ言葉≫

    「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

                         マルコによる福音書1章15節

   説教題:『神の国は近づいた』    聖書:マルコの福音書1章1~15節

 Ⅰ.イエス様は約30歳になった頃、福音宣教を始めるにあたり、人々へ呼びかけた言葉が「時が満ち、神の国が近づいた。」でした。神様の定めた時が来て、駅に電車が到着してきたように、この現実の世に突入してきたのです。すると、駅のアナウンスが始まりました。「ただいま到着の電車は『天国行、福音号』です。死出の駅を出ますと一路『終着駅・天国、パラダイス駅に到着です。ご注意下さい。』と、ありました。この電車は有限な常識の世界に、突然キリストの運転する「福音号」が現われたのです。この電車の世界では、死人が生き返るとか、五つのパンと二匹の魚で一万人以上の人が満腹するなど、当たり前のことなのです。ですから人々は疑い、戸惑い、躓いたのです。今現在も人々は戸惑っているのです。それでも多くではありませんが、「福音号」に乗り込んだり、乗り換えたりする人はいました。またすぐ横のホームには「永遠の滅び行:有限の命号」が大勢の乗客を乗せて止まっています。やがてアナウンスが聞こえてきました。「まもなく両号とも、死出の駅に向かって発車いたします。発車しますと両号とも並行して走ります。乗り換えたいと思われるお客様は死出の駅に到着するまでにお乗り換え下さい。死出の駅は一瞬止まるのみで、すぐに発車いたしますので、ご注意下さい。死出の駅からは『福音号』は『有限の命号』より離れて空へ向かって登っていきます。また『有限の命号』は反対に下へ向かって下降して行きます。ともに、それぞれの終着駅までノーストップで別れて行きます。そのことをよく確認してご乗車下さい。」と。

 Ⅱ.悔い改めと福音信仰

1、悔い改め:「福音号」に乗るにはプラットホームから、または「有限の命号」から降り、「福音号」に乗り換えなければなりません。この乗り換えこそ「悔い改め」なのです。洗礼を受けるかどうかはともかく、以前の考えや、行為から離れて、キリストにすべてを任せることです。中には、疑い迷い、「福音号」からプラットホームに降りたり、また「有限の命号」に乗り込んだり二つの間に迷うのは危険です。とは言え、命あるものはことごとく死んでゆく限界の世界から見ると、福音号は、あたかも宇宙人の飛行物体が到来したような戸惑いを感じると思います。「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる私たちには、神の力である。」Ⅰコリント1・18、とあるように、聖書の福音を滅びのこの世から見ると、おとぎ話に見えます。しかし、全能者のおられる「福音号」から見れば、奇跡は当然の結果と見えます。

2、福音を信ぜよ:ただし、この「福音号」に乗り込むには、この福音を全く信じるという信仰を証明する証明書、すなわち「信仰券」が必要です。聖書には、「恐れるな、小さな群れよ、御国をくださることは、あなたがたの父のみこころなのである。」ルカ12・32 「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。」ヘブル11・6、また、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」創世記17・1、とあるように完全な信仰を求めておられるのです。ですから、疑ったり、不信仰に囚われたりせずに、全き信仰をささげようではありませんか。

  <お知らせ>

▶ 先週、2/4㈰礼拝直後より「教会総会」が行われ、昨年の感謝を主にささげ、主にあって今年の歩みを踏み出しました。「行事計画」や「会計予算」が祝福されますよう、祈りつつ。

▶立春(2/4)を過ぎて、なお寒い中、能登被災地の方々の復興のため、支援活動をされる方々のため神の助けをお祈り致します。

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厳寒の2月を迎えました。  2024.2/4(日)

≪今週のみ言葉≫

「向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。」マタイの福音書18章3節

   説教題:『子どものように』    聖書:マタイ18章1~5節

<キリストの十字架への道>をたどっています。マタイ16:16「あなたは生ける神の子キリストです。」とのペテロの偉大な信仰告白を受けて、主は<受難告知>に入られました。「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」(マタイ16・21)これが第一回目、第二回目は変貌山後のマタイ17・22,23でした。主にとって、緊張の歩みに入りつつあり、受難と復活について話しても、弟子たちの関心事は、自分たちの序列でした。「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか。」彼らは、この世の価値観の中にどっぷり浸り込んでいました。

Ⅰ.天国はどのような所?

【天国の価値観は、優劣を競うこの世のそれとは正反対です。天国は「上下逆さまの国(Upside-down Kingdom)」と言われます。自分がそこに入るのにふさわしいと考えている人は、決してそこに入ることはできず、逆に自分はそこに全くふさわしくない罪深い者であることを認め、けれども神様からの贈り物としてそれを受け入れる人だけが、そこに入ることができる国なのです。】(『牧羊者』p.38)

Ⅱ.天国に入れる人とはどのような人?

弟子たちは、そもそも弟子たちの間では、誰が一番偉いか論争に明け暮れし、そしてここでは遂に「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか」と、イエスに尋ねる始末でした。それに対して「決して天の御国に入れません。」とまで主は言い切られました。【イエスは弟子たちの「誰が一番偉いか」という問いから出発して、天の御国に入るための条件という、神の民のさらに本質的な問いを弟子たちに示している。】(『牧羊者』P.40)「イエスは、一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、こう言われた。『まことにあなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。」(2~4)この世の価値観から向きを変えて、悔い改めて幼子のようになって初めて、天の御国に入れるのみでなく、実は天の御国で一番偉い者とされるのです。「自分を低くする人」謙遜さ、また自分の弱さ、無力さを知って、全面的に父なる神に依存する人、そういう人が、天の 御国に入れる、ふさわしい人ですと、ご自分を「心が柔和でへりくだっている」(マタイ11・29)と紹介されたイエスが言われます。

  <お知らせ>

▶ 主の2024年、大変な幕開けですが、一ヶ月過ぎ、一年のうちで一番寒いとされる二月に入りました。被災地にある方々のため、続いてお祈りしています。

▶「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(きんかん)」が更新されています。なおHP開設満12周年を昨年12/1㈮に迎え、リニューアル作業中です。

▶礼拝直後に「教会総会」が行われます。昨年を感謝し、2024年にむけて心一つに主の栄光のために踏み出せますようお祈り下さい。

▶2/7㈬、8㈭、9㈮ 第34回九州ケズィックコンベンションが別府市城島高原ホテルにて行われます。D・オルフォード博士と小野牧師が日本人講師として招かれ、それぞれ3回のご用をさせて頂きます。よき「主の聖会」とされますよう、お祈り下さい。

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1月最終礼拝でした。2024.1/28(日)

≪今週のみ言葉≫

「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け。」マタイの福音書17章5節

   説教題:『キリストの栄光』    聖書:マタイ17章1~8節

「ピリポ・カイザリア地方に行かれたとき」(16・13)、ペテロは、「あなたは生ける神の子キリストです。」(16・16)との、偉大な信仰告白をしました。イスラエルに詳しい方から聞いたところによると、ピリポ・カイザリアという所は、ちょうど水が二つに分かれる「分水嶺」の地です。このペテロの告白もちょうどそのように、人類を二つに分ける重大な告白だったのですと。「それから六日目に」(17・1)とあり、「イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」(17・1)のでした。神は懇ろなお方で、「生ける神の子キリスト」の栄光のお姿を彼ら3人に見せようと導かれました。「ペテロとヤコブとヨハネ」この3人だけを伴った他の時は、「ヤイロの娘のよみがえり」(マルコ5・37)と、「ゲッセマネの祈り」(マタイ26・37)の時でした。この3人は言わばイエスの側近であったということです。

Ⅰ.キリストの栄光の顕現(1~4) 「すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。」(2)この変化は、単に服装を変える程度のものではなく、根本的な変化、すなわち【あのグロテスクなさなぎが羽化して美しい蝶へと変化するような変化をさす。】(『牧羊者』p.33)ここで、まさにイエスは、「生ける神の子キリスト」としての栄光を弟子たちの目前にあらわされたのでした。これは地上での生活の中で、最初であり最後でした。さらには、「そして、見よ、モーセとエリヤが彼らの前に現われて、イエスと語り合っていた。」(3)のでした。モーセは律法の代表であり、エリヤは預言者の代表でした。彼ら二人は、山において直接、神と語った人々であり、二人とも当時の人々からは死んでいないと思われていました。この二人は何をイエスと語り合っていたのでしょうか。ルカによると、「イエスがエルサレムで遂げようとする最後のこと」(9・31)、即ち十字架と復活についてでした。この栄光の顕現を目にして、ペテロはとっさに3人のために幕屋を一つづつ造りますと語りました。マルコ(9・6)もルカ(9・33)もペテロが恐れのゆえに自分が何を語っているのか分からないでいたと記していますが、【当時、古代中近東の世界では、大切な客には敬意を払ってテントを立てる習慣があった.】(『牧羊者』p.34)とのことです。 Ⅱ.キリストの栄光の証言(5~8) ペテロがまだ話している間に「見よ、光り輝く雲が彼らをおおった。すると見よ、雲の中から『これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け。』という声がした。」(5)光り輝く雲は、神の臨在を示し、その中から、神ご自身の声が響きました。キリストは、父なる神の愛する子にして、神に喜ばれる存在であるゆえ、彼に聞くようにとのみ声でした。天からの「キリストの栄光の証言」でした。ひれ伏す弟子たちに主は触れられ「恐れることはない」と語られ、弟子たちが目を上げると、「イエス一人のほかには、誰も見えなかった」(8)のでした。キリストこそ、神の子としての信仰を堅くし、いつもこの主を目の前に置き凝視し、この方の言われることに聴き従う私たちとされ、私たちもまた「これは私の愛する子。わたしはこれを喜ぶ」とのみ声がかけられる存在として生かされていきましょう。

<お知らせ>

▷早くも1月最終礼拝をおささげしました。週半ばには、「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(きんかん)」が更新されます。

▷次週、2/4(日)には、礼拝直後に2024年度の「教会総会」が行われます。現住正会員がそろって出席し、心一つに新しい主の2024年度の歩みを踏み出せますようにお祈り下さい。

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能登震災被災地の方々のため祈り支援しています。2024.1/21(日)

    

≪今週のみ言葉≫

  「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の

  十字架を負って、わたしに従って来なさい。」マタイの福音書16章24節

   説教題:『キリストに従う』    聖書:マタイ16章21~26節

『牧羊者』カリキュラムは1/14㈰より<キリストの十字架への道>となっており、本日より合流いたします。レント(受難節)は2/14㈬~3/30㈯で、3/24㈰がパームサンデー、3/31㈰が今年の復活祭(イースター)です。本日のテキストの前に、「ペテロの偉大な信仰告白」があります。「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタイ16・16)この告白を耳にされたイエス様は、いよいよその時が近づいたことを察知されて、ご自身の<十字架への道>と、弟子たちの進むべき道を指し示されるのです。

 Ⅰ.キリストが歩まれた祝福の道

「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえられなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」(21)とある通りです。ここが第1回目の受難告知です。2回目は17・22,23に、3回目は20・18,19に記されています。受難の道、十字架の道はまことに険しく、これ以上の苦しみは考えられないものです。しかし、それは身代りの受難であり、十字架でした。私を初めとする全人類の罪と呪いのすべてがキリストの上に置かれたのでした。まさに「木にかけられた者はみな、のろわれている」(ガラテヤ3・13)の通りです。ところが、そのキリストが歩んで下さった受難と十字架の、呪われた歩みが、180度の大逆転となり、キリストは父なる神の大能の御力により、よみがえらされ、昇天され、父なる神の右の座につかれたという、これ以上無い『祝福』となったのでした!一体誰がそんな逆転を想像できたでしょうか!?十字架の麓にいた人たちは、キリストの十字架は「敗北」としか考えられなかったことでしょう。

 Ⅱ.キリストに従う祝福の道 

「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」(22)とは、ペテロだけでなく、誰しもの言いたかったことでしょう。そのペテロに、つい何分か前に「あなたは幸いです。」(17)と言われたそのペテロに、「下がれ、サタン。」(22)とイエス様は言われます。そして<キリストに従うさいわいな姿>とは、①自分を捨てること ②自分の十字架を負うこと ③そうした上で、キリストに従うことこそ、真の祝福の道であることを、弟子たちに語られました。一言で言えば、自分を喜ばせないで、神を喜ばせる道を選び取り、それがキリストに従う祝福の道なのだということです。私は今、喜んで自分の十字架を負い、キリストの御足の跡を従いつつあるかどうか、思い巡らしてみましょう。 “No pain, no palm; No thorns, no throne; No gall, no glory; No cross, no crown.” by William Penn

  <お知らせ>

▷本日、「支援献金箱」の集計をした上で、「災害時備蓄金」から加えた上で、教団事務局経由にて、送金させて頂きます。

▷続いて、礼拝時、祈祷会にて、また、それぞれの家庭で、個人で、お祈りをさせて頂きます。

▷明日、1/22(月)13:30より、「愛と希望の祭典・四国」の実行委員会が、対面は、松山福音センターにて、また同時にZOOMにて開催されます。2026.5/4(月・祝)5(火・祝)にウィル・グラハム師を松山にお迎えしての大会のための準備の祝福をお祈り下さい。

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青年祝福礼拝でした。2024.1/14(日)

≪今週のみ言葉≫

    「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」エペソ人への手紙1章3節

  説教題:『祝福の民』    聖書:エペソ人への手紙1章1~14節

エペソ・ピリピ・コロサイ・ピレモン、これら4書簡は、「獄中書簡」と呼ばれ、パウロがローマの獄中から記したものです。「エペソ人への手紙」は「キリストのからだなる教会」について、「コロサイ人への手紙」は、「教会のかしらであるキリスト」というのが、その主題です。「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。」(1)との書き出しですが、重要な写本には「エペソ」のところが空欄になっており、原典やその写本では「○○の」となっていて、これは回状的書簡であっただろうと言われています。本日の聖書箇所は「父なる神への賛美の歌」その後の15~23節までは「パウロのとりなしの祈り」です。そして本日の中心聖句は1章全体の鍵になるみことばです。【神は、何を一番願っておいでになるかというと、愛する者たちに霊のもろもろの祝福をお与えくださることだというのです。ここで言う「祝福」とは、一つは「選び」で、もう一つは「贖い」、すなわち私たちの救いです。小島伊助先生は、『エペソ人への手紙』の1章の中で言われている用語を拾ってみると、まるでダイヤモンドを拾うような感じがする。そしてこれを連ねてみると、ネックレスのように、真珠の玉が連ねられているようである」と言われましたが、まさにそうだと思います。どれ一つをとってみても一回の礼拝では間に合わないくらいの、実に豊かな内容の言葉がここに用いられているわけです。】(説教『エペソ人への手紙』小林和夫・著)

Ⅰ.選びの祝福 「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」(4)パウロがこの神の選びの愛の結論に至る前段階がありました。A.D.55年に記されたコリント人への手紙第一の中に、人の選びと大きくかけ離れた神の選びが記されています。「有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や、見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。」(1・28)また同じく北ガラテヤ説によると、A.D.55年に記されたガラテヤ人への手紙1・15には、「しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神」とあります。更に晩年を迎えたパウロがA.D.61年に、このエペソ人への手紙を記したのでした。自分の救いは、神の恵み以外の何ものでもない。「そうだ、お母さんのおなかどころではない。世の未だ成る前から、キリストの内に私は選ばれていたんだ」と、歴史を超えた神の愛の事実を御霊に示されて告白しました。「もし世界に救われないという人がいるとするならば、あの人だ」と言われる、その人が救われました!ステパノの殉教死を直面し、ダマスコ教会をつぶしに行ったその人物が救われてしまいました!それは「神の民として、神をほめたたえるために選ばれた」(12)ということです。

Ⅱ.贖いの祝福 「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」(7)20節には神がイエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせたとあります。この血による十字架の死による贖い、復活による贖いということを、イエス・キリストを通して神はなさるという計画を、すでに永遠の昔にお立てになっておられたのです。「教会とは、復活昇天のキリストが聖霊によって現臨する場である。」(オスカー・クルマン)

〈お知らせ〉 

▶ 能登震災被災者の方々のためにまた、救援にあたられる方々のために日々祈ると共に教会としても    支援献金箱を用意して送金させて頂こうとしています。

▶ 今週水曜日、1/17は阪神淡路大震災から29年となります。祈りの時を持たせて頂きます。

▶ 大変な中を生きる幼な子たち、小中学生、高校生、大学生、青年たちが一日も早く永遠の救い主と出会うために祈り、教会がクリスチャン一人一人がそのために用いられるこの年となりますよう、祈ります。

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