- 敬老祝福礼拝でした。 2026.9/13(日)
<今週のみ言葉> 「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。 この人に神のわざが現れるためです。」 ヨハネの福音書 9章 3節
説教題 : 「シロアムに行け」」 聖 書:ヨハネの福音書9章:1~12節
主が道を通っておられたとき、道端のひとりの盲人に目を留められました。すると、弟子たちが「先生、この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか」と尋ねました。 ところ変わらず昔から、このような問いがなされてきました。何か難しい病、悲惨な運命を負わされた時、それはなぜか、誰のせいかと問うのです。 特に、先天的、宿命的な苦難を負わされことの理由を、自分とはかかわりのないところで、親や先祖が罪を犯したためであるとするのです。 ところが、主イエスのお答えは全く独特でした。
「本人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。」(3) 主は「因果応報論」を否定されました。 それではどうなのかと言うと、「この人に 神のわざが現れるためです。」と言われたのです。 この不思議な主のことばの意味は、どういうことなのでしょう。
1,素晴らしい未来がある
主はこの人の過去ではなく、未来のことを言っておられます。私たちは、思いがけない苦難を負わされた時、その理由を過去に原因があるのではと求めます。しかし、主は「神様の素晴らしいわざが現れるためですと、未来を示されます。これは、希望のことばです。
2,原因ではなく、目的
苦難の原因を過去に探るのではなく、その苦難には、神の目的があることを知ることです。「この人に神のわざが現れるため」 神様はこの重荷を負わせられた盲人の人生に、最初かから素晴らしい目的、ご計画をもっておられました。
そして、この人に一番良いものをくださっているのだと教えられました。 苦難の原因ではなく、その苦難には神様の素晴らしい目的があり、使命があることを知ることです。
3,神のお働きには時がある (4)
こんな状況では、「もう先が見えている、何の良いこともない」と思うと、虚しく怠惰になってしまいます。今のこの不幸、苦しみ悲惨は、むしろ、「ここから、この状態から、私のうちに神様の不思議なみわざが現わされていくのだ・・」というなら、新しい希望を持ち、立ち上がる勇気が与えられます。
さらに、こんな状況でも「私の為すべきこと、使命がある」と踏み出すことにより、神が開いてくださる驚くべき生き方、神のみわざが導かれていくのです。 そして、その働きには「時」があります。「今」という時を大切に生かし、私たちのなすべきこと、使命を果たしていきましょう。
