• 第4主日礼拝でした。2026年10月25日

    <今週のみこたば>「恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」

                               ペテロの手紙1章1〜2節

    説教教:「恵みと平安の祈り」

    聖 書:ペテロの手紙1章1〜2節


      ペテロの手紙の挨拶にはペテロの切なる思いが込められています。ペテロは、御国の国籍を持つ彼らが地上においては<離散し寄留している人々>であり、神の予知と御霊の聖別によって神に従い血の注ぎを受けるようにと<選ばれた人々>であることの認識と自覚を促しています。今日の箇所はこの挨拶文の最後の祈りです。
    1,挨拶が祈りに ペテロはパウロと同様、最初の挨拶を<祈り>で結びました。ペテロは、この手紙を受け取る人々の信仰が励まされ、神の豊かな祝福を受けるように切に願って書いています。それが初めの挨拶にも祈りが出てくる理由です。いつでもどこでも、どんなことをしていても祈りになり祈りが出てくることは幸いなことです。わたしたちも、ことごとに祈るものでありたいと願います。

    2,恵みを祈る ペテロの祈りの内容は「恵みと平安」です。これらは、あまりに慣れ親しんでいるので読み過ごしてしまいます。しかし、改めて「恵み」という言葉を取り上る時、このことばはキリスト教信仰で最も重要な言葉の一つです。「恵み」とはそれに値しない者に神が良いものを与えてくださること、資格も必然もないのに一方的好意によって与えてもらうこと、受ける資格がない者に神がとことん良くしてくださることが「恵み」です。 また、どんな不足があるか、何が足らないかではなく、今自分に与えられているものに心と思いを向け、それを喜び、感謝して生活することがまさしく恵みなのです。そのような恵みの経験がますます豊かにされていくようにとの祈りです。

    3,平安(平和)を祈る 「平安」はヘブル語の「シャローム」と関連があります。シャロームは挨拶のことばで、「いつもあなたに神様の平安(シャローム)がありますように」と言い交わします。 しかし、「シャローム」の本義は、神との正しい関係にあること、神の御心が実現していることであって、「平安」や「平和」はその結果として生まれるものなのです。 「私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和をもっています。」(ローマ5:1) 今、世界や社会、家庭の平和がどれだけ大事でしょうか。しかし、もっと大事なのは「神との平和」です。「神との平和」があって初めて、心に平安が与えられ世界の平和が訪れ、社会や家庭の平和が生まれます。 その平和と平安は、神と和解し、神の義を受けるところにもたらされます。神の前に自らの罪と無力を知って告白し、キリストの十字架を仰いで自分の罪が赦されたことを知るところから生まれるのです。 そのような平和と平安を自らのものとし、神の恵みを感謝して生きるようにペテロは挨拶を祈りをもって締めくくりました。神の恵みを受け取り、神の平安を得ているでしょうか。「恵みと平安が、あなたがたに ますます豊かに 与えられますように。」

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