- 11月聖餐式礼拝でした。2026.11.8(日)
<今週のみ言葉> あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれど愛しており、今見てはいないけれど信じており、ことばに尽くせない、栄に満ちた喜びに躍っています。 ペテロの手紙第一 1章 8節
説教題 「試練の中の喜び」 聖 書 ペテロの手紙第一1章6~9節
私たちがキリストを信じた時、霊的に新しく生まれ変わる「新生」の恵みを受け、その結果、「生ける望み」が与えられました。それは、「天に備えてられた資産を受け継ぐ」という驚くべきものです。しかし、同時に今は、「今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならない・・」(6)とあり、この手紙を受け取った離散し、寄留している人々(1:1)は、キリストのゆえに世から反発や危害を受け、嘲笑の的になっていました。それは不安なことであり、悲しく辛いことでした。しかし、それでも彼らの心には不思議な喜びが宿っていたのです。
- 試練にあう理由(7)
なぜ、神の子とされた者が試練に遭い、悲しみを経験するのでしょう。なぜ、神は、ご自分の子たちが試練に遭うことを、あえてお許しになるのでしょう。
①信仰が練られる
試練によって「信仰が練られる」ためです。金は炉で溶かされて不純物が取り除かれ純粋な金となって炉から出てきます。金は火で精錬されてこそ純度の高い高価なものになります。しかし、その金も私たちの永遠を保証するものでなく、失われ朽ちていくものです。しかし、金よりも尊いものが試練という炉を通ることによって生まれてくるのです。「艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出す」 (ローマ5:3~4)
②賞賛・光栄・誉に変わる
キリストのために試練に遭って苦しんだ者こそ、再臨の時に神からの賞賛と栄光と誉を受けるのです。苦難の後にキリストが再臨され、新天新地が現れ、罪と死から完全に開放された世界が現れます。その時、私たちは神に賞賛と栄光と誉を帰して礼拝をささげます。同時に、「よくやった、忠実な僕だ」(マタイ25:21)と神様から賞賛と栄光と誉を受けるのです。 「一時の軽い艱難は、それとは比べものにならないほどの重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。」(2コリント4:17)
2,見なくても信じ、愛する喜び(8~9)
ここには、クリスチャンとは何であり、どういう者であるかを最も美しく描写したことばがあります。「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄に満ちた喜びに躍っています。」 (8) 私たちはこの地上においてクリスチャンとして何らかの苦しみに遭います。しかし、その苦しみの中で共におられる主イエスにお会いするのです。私のために十字架で苦しみ、悲しみを担われたお方が共にいてくださる。肉の目で見てはいませんが、主が共におられる経験をするのです。その経験とは<主の臨在に触れる喜び>です。
