教団創立73周年記念聖日でした。2024.7/21(日)

≪今週のみ言葉≫
「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、またケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」コリント人への手紙第一15章3~5節

   説教題:『福音による救い』 聖書:コリント人への手紙第一15章3~8節
コリント人への第一15章は、使徒パウロによる『復活の章』で、まさに一大論文です。「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。」(3)と、本日のみ言葉の前に記されています。「この福音によって救われます。」(2)と、パウロは自ら実体験した福音こそ「最も大切なこととして伝えた」(3)のでした。人が罪と永遠の滅びから救われる唯一の手段、それが「この福音」(2)であって、これ以外には絶対ありません!
《福音の2本柱(4本柱)》
Ⅰ.十字架(死と葬り) 十字架刑は、ローマ帝国における極刑でした。まことに残忍極まる死刑の形でした。きっと数限りない受刑者が十字架刑で殺されたに違いありません。しかし唯一イエス・キリストの十字架のみが<身代りの十字架>でした。罪の縄目にがんじがらめに縛られていた全人類をそこから解放する唯一の十字架でした。「私に代わって、罪の報酬なる死を受け取ってくださったのでした。」「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6・23)。死の確証として、主イエスは葬られました。「死の実体」すなわち神との断絶を経験して下さったのでした。十字架上の第四言「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27・46)との叫びがそのことを実証しています。
Ⅱ.復活(よみがえりと顕現) ところが「また、聖書に書いてあるとおりに三日目によみがえられたこと、またケファ(ペテロ)に現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(4,5)顕現は復活の確証でした。復活を言い、信じるのは、キリスト教のみです。イエス・キリストのみが死を打ち破ってよみがえらせられた唯一、真の救い主だからです。ゆえにペテロを初め、弟子たちの前にご自分を顕わされることができたのです。そしてこのキリストの死と復活は、キリストを信じる者にも、必ずや与えられる恵みなのです。古い罪の身体(魂)はキリストと共に死に、キリストにあって「新しく造られた者」(コリント人への第二5・17)として新生の恵みに生かされます。それのみが、やがて地上の生涯が終わり、身体が葬られても、キリスト再臨のその時!一瞬の内に栄光の復活体としてよみがえり、神と共なる永遠に突入の日が必ず来ます!ハレルヤ!何という『福音(キリスト)による救い』でしょう!

<お知らせ> 
▶梅雨が明けてまさに猛暑到来です!霊肉の御健康が守られますようお祈りいたします。

▶本日は午後教会学校の生徒や久しぶりのお友だちや先生方は三木のプールで楽しい交わりの時を持ちます。良い時となりますように、また安全のためにもお祈りします。

▶8/24㈯15:00~20:00「おたのしみデイ・キャンプ」を開催します。夏休みの終わりでまだ先ですが、かえるクラブの子どもたちの中からの参加者もと祈っています。日本同盟教団の高松泉キリスト教会との合同ですのでとても賑やかになりそうで楽しみです♪

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先週は梅雨中休みの猛暑日でした。  2024.7/14(日)

≪今週のみ言葉≫

「これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」マルコの福音書7章23節

     説教題:『きれいな心の幸せ』      聖書:マルコ7章14~23節

『牧羊者』のカリキュラムでは本日7/14㈰~8/4㈰までの4回の単元(テーマ)が<救い>となっています。本日のテキストは7章はじめの部分において、<昔の人たちの言い伝えを固く守って>いたパリサイ人たちや律法学者たちとの問答のあとにイエスが群衆に(14,15)、また弟子たちに(17~23)語られたことです。(注・口語訳には〔16 聞く耳のある者は聞くがよい。]があります。)

Ⅰ.人の中に入ってくるもの 「外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。人の中から出て来るものが、人を汚すのです。」(15)と群衆に語られたのを聞いた弟子たちは、このたとえの説明をイエスに求めました。イエスは物分かりの悪い弟子たちに言われました。「外から入って来るどんなものも、人を汚すことはできません。それは人の心には入らず、腹に入り排泄されます。」(18.19)「こうしてイエスは、すべての食物を清いとされた」のでした。【旧約聖書には「食物に関する規定」 (レビ記11章)があり、ユダヤ人たちにとっては清い食物と汚れた食物とが明確に区別されていた。しかしイエスはこのような区別は形式的な意味しかなく、食物自体が汚れているとは考えなかった。それゆえこの箇所はイエスによる旧約聖書の新しい理解が明らかにされている非常に重要な箇所なのである。】(『牧羊者』P.19~20)「神が作られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。神のことばと祈りによって。聖なるものとされるからです。」(テモテ第一4・4~5)

Ⅱ.人の中から出てくるもの 「人の中から出て来るものが、人を汚すのです。」(15)「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から悪い考えが出てきます。みだらな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て人を汚すのです。」(20~23)「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。」(エレミヤ書17・9)「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」(同 口語訳) 「悪のリスト」に関しては、ローマ1・29~31,ガラテヤ5・19~21、Ⅰテモテ1・9~10,Ⅱテモテ3・2~5に記されています。これでもかと思い知らされるもので,原罪をもって生まれ出たすべての人間が対象とされ、誰一人の例外もありません。唯一、神が人となって来られた「イエス・キリスト」のみであり、人にはできないことも、このお方にはできないことはなく、十字架に流してくださった聖い血によって、「その罪を赦し、私たちをすべてに不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1・9)ですから「真実で正しい方」である神の前に、「自分の罪を告白する」救いの道へと進むのみです。信仰者であっても罪を犯す可能性はあります。しかし悔い改めの恵みはいつも備えられています。ダビデは大罪を犯した後、悔い改め、赦される幸いを歌いました。詩篇51・10、32・1,2。

<お知らせ>

▶半年が瞬く間に過ぎ、下半期に入った7月ももう半ばを迎えました。本当に時がたつのは速いことです。

▶8月末には第63回「香登修養会」、9月半ばには第47回「西日本再臨待望大会」、10月半ばには第60回記念「四国聖会」と委員会が行われて、人が準備をしますが、召集されるのは神様です。神に近づく聖会を通して、フルタイムの直接献身者が多く起こされますようにと、教会の祈祷会でお祈りしています。

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2024年下半期最初の聖日です。  2024.7/7(日)

≪今週のみ言葉≫

「彼と共にいる者よりも大いなる方が、私たちとともにいてくださるからである。」 歴代誌第二32章7節

    説教題:『信仰の祈りの力』      聖書:歴代誌第二32章9~22節

 『牧羊者』単元の「サムエルと王たち」の最後が「ヒゼキヤ」です。イスラエル王国は第三代のソロモン王の次のレハブアム王の時から南北王朝に分かれました。ヒゼキヤ王は、レハブアム王から第13代目の南王国ユダの王でした。歴代誌第二32章1節に「これらの真実なことが行われた後」とありますように、国内の偶像を一掃し「その神、主の前に、良いこと、正しいこと、真実なことを行った」(31・20)善王でした。(並行記事としては、列王記第二18章19章、イザヤ書36章37章)

Ⅰ.ピンチはチャンス<人のピンチは神のチャンス>

 ヒゼキヤ王の在位、第14年目、B.C.701年にヒゼキヤ王と民にピンチの時が訪れました。「アッシリアの王センナケリブが来てユダに入り、城壁のある町々に対して陣を敷いた。それらを攻め取ろうと考えたのである。」(32・1)王は高官たちや勇士たちと相談して、泉の水を塞いだり、川をせき止めたり、城壁を改修し、櫓を立てたり、町を強固にしました。そして民を激励して言いました。「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリアの王や彼とともにいるすべての大軍を恐れてはならない。おののいてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が、私たちとともにいてくださるからである。彼とともにいる者は肉の腕だが、私たちとともにおられる方は、私たちの神、主であり、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって力づけられた。(7,8)ヒゼキヤがかくも勇ましくあれたのは、《神との関係》が正常であり、《神への信頼》が彼をしてそうあらせたのでした。ところが敵もさるもの、アッシリアの王センナケリブは、将軍ラブ・シャケをはじめ、家来たちを遣わして「舌戦」を挑みます。すなわちあらゆる脅かしや威嚇の言葉で攻めてきました。ヒゼキヤ王は民に「黙って、一言も答えないように」(列王第二18・36)と命じていました。

Ⅱ.祈りと奇跡 

 この急場に及んで、ヒゼキヤ王は「衣を引き裂き、粗布を身にまとって主の宮に入った」(列王第二19・1)のでした。そして預言者イザヤのところに使いを遣わし、主のことばを求め、祷援を頼みました。イザヤの預言が列王下19・21~34とイザヤ37・22~35にあり、「ユダの家の中の逃れの者、残された者は、下に根を張り、上に実を結ぶ。」(19・30)(37・31)とのみことばと共に、神が必ずユダを守って救うとの約束の預言でした。「ヒゼキヤ王と、アモツの子、預言者イザヤは、このことについて祈り、天に叫び求めた」(20)のでした。二人は相見えることはなかったのでしたが。「その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した」(列王第二19・35)(イザヤ37・36)のでした!さらにはセンナケリブは、20年後のB.C,681年、息子たちによって殺されました。神への信頼と、祈りによる奇跡的大勝利でした!

<お知らせ>

▶ 早くも2024年下半期スタートです。祝福の6ヵ月となりますよう祈ります。

▶被災地の方々のためにも、たゆまない祷援をいたします。

▶・8/27㈫28㈬29㈭ 第63回香登修養会

・9/15㈰16㈪㈷ 第47回西日本再臨待望大会

・10/14㈪㈷ 第60回記念四国聖会

と、それぞれ<神が召集される聖会>の祝福を祈り待ち望み、願わくはフルタイムの献身者が召し出されますようにとお祈りしています。

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≪今週のみ言葉≫

「イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に・・・教えられた。」

                   (口語訳聖書 ルカの福音書18章1節)

      説教題:『クリスチャンの祈り』   聖書:ルカの福音書18章1~8節

すべての宗教には祈りがあります。お経も一種の祈りです。お経を唱えながら素足でお百度を踏んでいるのなどがそれです。神学校もまた祈りの道場だと教えられました。さて、聖書は祈りについてなんと記されているでしょうか?

Ⅰ.旧約聖書の祈り 

  • ①アブラハムの場合、【創世15・1~2】のように、初めに、神様から話しかけられ、それにこたえる形でなされています。すなわち、祈りは神様と人との会話から始まっています。まず、祈りは神様との対話なのです。
  • ②ヤコブの場合、【創世32・24~26】ヤコブはヤボクの渡し場で、神の人と一晩中相撲を取りました。朝方になったので、「もうやめよう、去らせてくれ。」と、言ってもはなさず、「祝福してくれなければ放さない!」と粘るのに負け、神の人から祝福を奪い取ったのです。すなわち祈りは神の意志をさえ変えうる力があるものだということです。
  • ③モーセの場合【出エジプト17・8~13】エジプトを出て、シナイ半島をさまよっていたイスラエルの人々に戦いを挑んできたアマレク人に対し、イスラエルはヨシュアを隊長として戦った時、「モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。」とあるように、神に向かって手を上げることは、まさに祈りです。失望せずに祈り続けることは勝利の秘訣です。勝利の生涯を送りたいなら祈り続けることです。その他にも祈りの勇者は、ダビデ、エリヤ、エリシャ、ダニエル等、いくらでもいます。

Ⅱ.新約聖書の祈り 

  • ①イエス様の祈り(へブル5・7)「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙をもって、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞き入れられたのである。」とあるように、イエス様は神の子であるとともに、私たちと同じ弱さを持つお方でした。ですから、夜を徹して祈らなければやっていけなかったのです。ましてや私たちは、イエス様に倣うべきなのです。 
  • ②イエス様の祈りについての教え(ルカ18・1~8)イエス様は人々にたとえ話で「失望せずに祈り続けるように」教えられたのです。それは、あるところに不義な裁判官がいたのです。そしてそこに、人から訴えられて困っている一人の寡婦の婦人がいたのです。この婦人は早く裁判をしてほしいと思い、毎日のように裁判所に来て訴え続けました。最初は相手にしませんでしたが、こう毎日来て催促するので、ついに「このままだと気が狂いそうになる。あまりにうるさいから、早速裁いておしまいにしよう。」と決心したのです。この婦人のようにあきらめず訴え、祈り続けるなら、愛の神は速やかに聞き届けて下さるはずです。と、教えられたのです。

Ⅲ.私たちの祈り  さて、私たちの密室の祈りは守られているでしょうか?中にはすぐ答えて下さらないので、真剣な祈りはしなくなったという人もいるかもしれません。また祈りに失望したり、期待しなくなった人はいませんか?赤ちゃんの泣き声は、赤ちゃんの祈りでもあります。もし赤ちゃんが泣かないとすれば、眠っているか病気か、それとも死んでいるかですよね。私たちの信仰の祈りはいかがでしょうか?忙しい世ではありますが生きた信仰生活を致しましょう

<お知らせ>

▷早くも月替わりとなりました。今日、明日には、「今月のメッセージ」「7月のお祈り」「ヘッダー(ジューンベリーの実)」が更新されます。主にあってよい7月となりますよう祈りを込めつつ。

▷6/24(月)25(火)の「愛と希望の祭典・四国」への準備の大切な企画としての「全四国牧師親睦会」は、お祈りに応えられて、素晴らしい2日間となりました!お祈りありがとうございました!ビリー・グラハム伝道協会よりの3名の講師の先生方にご家族、スタッフそして、3名の幼児も含め、部分参加の先生方もありましたが、70名ほどの参加者一同は祈りに燃やされ、大いに主を賛美し、講演に耳を傾け、幸いでした。2026.5/4,5の大会に向けて心一つに備えます!

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梅雨の時期に入りました。2024.6/23(日)

≪今週のみ言葉≫

「神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。」列王記第一3章28節

     説教題:『ソロモンの知恵』   聖書:列王記第一3章16~18節

6/9㈰、16㈰と2週の教会行事カリキュラムを終えて、6/2㈰の第二代目の王ダビデから、本日はイスラエル第三代目の王、ダビデ王の息子ソロモン王よりのメッセージです。『ソロモンの知恵』とは、クリスチャンの人だけでなくても、ほぼ世界的に知られていることです。

 Ⅰ.ソロモンが求めたもの。 ソロモン王がいけにえを献げようとしてギブオンへ行ったときのことです。主が夜の夢のうちにソロモンに現われて、「あなたに何を与えようか。願え。」(3,4)と言われたのでした。さてソロモンが神に求めたものは?「私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。」(8,9)ソロモンのこの願いは、主のみこころにかなったのでした。「自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、見よ、わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。」(11.12)。さらに神のすばらしい言葉が続きました。「そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。あなたが生きている限り、王たちの中であなたに並ぶものは一人もいない。」(13)と!

 Ⅱ.ソロモンが与えられたもの。 さて、この神様からのお約束の言葉が、見事に実証される出来事が起こりました。それが本日のテキストです。「そのころ、二人の遊女が王のところに来て、その前に立った。」(16)驚くべき事に、遊女が二人やって来て、王の前に立ったというのです!二人がいかに難しい審きを持って来ているかということです。王の家来で審き切れないもののみが、王の前に持ってくることをゆるされていました。一人の女の言い分が17~21節に記されています。夜の間に子どもの上に伏して死んだ子を、取り換えられていたと言います。もう一人の女は、「生きているのが私の子で、死んでいるのがあなたの子です」と言い、二人とも同じように言い合います。他に目撃者のない時の出来事でしたからいよいよ難題です。ソロモン王はどうしたでしょう?「剣をここに持って来なさい。」(24)。「生きている子を、二つに切り分け、半分をこちらに、もう半分をそちらに与えよ。」(25)と命じました。生きている子の母親は胸が熱くなり、「その子をあの女にお与えください。」(26)と言い、もう一人は「断ち切ってください。」(26)と言ったのでした。そこでソロモン王は「生きている子を初めのほうの女に与えよ。」(27)と宣告を下したのでした。「全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。」(28)と。神はこのようにして、「ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。」(4・29)のでした。

「しかし見なさい。ここにソロモンにまさるものがあります。」(マタイ12・42)。と言われるのは、主イエス・キリストです。「キリストは、私たちにとって神の知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。」(コリント人への手紙第一1章30節)【主イエスを信じる者こそ、ソロモンにまさる知恵者である。謙遜にこの知恵を求め続けようではないか。】(『牧羊者』p.78)「主を恐れることは知識の初め。」(ソロモンの箴言1章7節)。

<お知らせ>

▷6/20(木)小6の一人の女の子に、『聖書』をかえるクラブの時にプレゼントできました。この2年間、木曜かえるクラブや、日曜日の教会学校にも時々励んで、80ポイントをクリアしたからです!かえるクラブに来ると1ポイント、教会学校や礼拝に出ると5ポイントもらえます。これから「自分の聖書」をしっかり読んで、イエス様と出会ってほしいと祈ります。

▷6/24(月)25(火)、坂出グランドホテルにて、「全四国牧師親睦会」が行われます。2026、5/4、5の『愛と希望の祭典・四国』への良き備えの時です。6/25(火)6:30~7:15朝のデボーションを小野牧師が担当させて頂きます。お祈り下さい。今のところ、67名の参加予定です。ギリギリまで受け付けますので、あるいは更に加えられるかと期待します。

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