教会創立74周年記念聖餐式礼拝でした。 2023.10.1(日)

≪今週のみ言葉≫

「力ある勇士よ。【主】があなたとともにおられる。」士師記6章12節

   

説教題:『神に招かれて』   聖書士師記6章7~16節

 【英国インマヌエル神学校で、ある旧約のクラスにてギデオンのことを語るたびに、’mighty mouse’(マウティマウス「力あるネズミさん」)と呼んでは笑いが起こっていたのを思い出します。しかしうがった表現だと今も思います。ほんの子ネズミのような、あるいは聖書の表現では「大麦のパン」(士師7・13)にしかすぎないギデオンに神がご自身の力を着せて、主のため、民のために用いられました。】(『神と共に歩む日々』7/9分)

Ⅰ.臆病者への招き ヨシュア亡きあと、12人の士師(さばきづかさ)が立てられ、主への背きゆえに異邦人の圧制に苦しむイスラエルの民を救うという士師時代となり、本日のギデオンは第5人目の士師として神に招かれました。当時イスラエルを脅かしていたのはミディアン人たちでした。「ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。」(11)とあるように、ギデオンは小心者、臆病者でありました。そのギデオンに神からの招きの声がかかったのです。「力ある勇士よ。【主】があなたとともにおられる。」(12)と!「力ある勇士よ」と呼びかけられただけで、ギデオンは「誰のこと?!」とあたりを見回したかもしれません。主の使い(先在のキリストともみられる)に、ギデオンはなぜ今イスラエルがかくまでミディアン人に苦しめられているのか、かつてのあなたの驚くべきみわざはどこにあるのですか、と単刀直入にたずねました。するとまたしても意外や意外!「行け、あなたのその力で、あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」(14)との重ねての神からの招きです。臆病者ギデオンは答えます。「ご存じのように、私の氏族はマナセの中で最も弱く、そして私は父の家で一番若いのです。(15)

Ⅱ.招かれる方の臨在 さまざまに理由を挙げて神からの招きにすんなりと応じようとしないギデオンに、主は語られました。「わたしはあなたとともにいる。あなたは一人を討つようにミディアン人を討つ。」(16)本日のテキストは、この16節までですが、その後も小心者、臆病者、あるいjは慎重派といえるでしょうか。ギデオンはよりにもよって主からの「しるし」を求めるのです。主はそのしるしによってギデオンが『神に招かれて』いることをいやが応にも確認させられます。その招きと共に何よりの保障と言えるもの、それが<招かれる方の臨在>です。「主があなたとともにおられる。」(12)「わたしはあなたとともいる。」(16)なんと心強いことでしょう!私たちも『神に招かれて』この世にあってクリスチャンとされています。勝利の主、臨在の主が私たちのすべてをご存じの上で招いて下さり、そして伴っていて下さる一日一日を感謝して過ごしましょう。そしてそれぞれの使命を果たさせて頂きましょう。

  <お知らせ>

▶「教会創立74周年」を主に感謝いたします。75周年に向かって、多くの実を主におささげできますように!

▶4年ぶりの「聖餐式礼拝」でした。十字架の恵みを深く味わいました。

▶4年ぶりの「持ち寄りバザー」(「食品バザー」と「物品バザー」でした。)収益は新会堂献金として献げます。何より互いの交わりが与えられる喜びを主に感謝します。

▶10/5㈭から、かえるクラブ再開です。子どもたちやご家族のためのよい「居場所」となれますよう、そして教会に、イエス様につながって頂けますように!!

▶次週10/8㈰14:00~15:30岸義紘先生をお迎えしての「サクソフォンコンサート&メッセージ」です。1500枚のチラシ(これも4年ぶり!)が用いられ新しい方々が導かれますよう祈っています。

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≪今週のみことば≫

9月最終礼拝でした。 2023.9/24(日)
≪今週のみ言葉≫
「そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民は、それぞれ、まっすぐに攻め上れ。」ヨシュ
ア記6章5節
  説教題:『神による勝利』   聖書:ヨシュア記6章1~21節
 先週見ました「幼子モーセ」は奇しい神のご計画の中で、実母の手によって育てられ、
やがてエジプトで40年 王宮であらゆる学問を身につけました。その後はミデヤンの荒野
で羊飼いとして40年、モーセの肉の力が全く失せるのを待って、神は80才のモーセを使
命に召し出されました。出エジプト、荒野の放浪、そして40年後 天に召されます。「モ
ーセが死んだときは120歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった
。」(申命記34・7)「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかっ
た。彼は、主が顔と顔を合わせて選び出したのであった。」(同34・10)モーセには当
然及ばずとも、そのような高齢期をと祈り願う者です。そして本日はそのモーセの後継
者として立てられたヨシュアが用いられての「主の戦い」です。「エリコの戦い・主の
勝利」『神による勝利』です。
Ⅰ.神の約束と作戦(5・15~6・5) ヨシュアに率いられた民が、ヨルダン川を信仰と従順
によって渡ったのち、そこには難攻不落の城壁を誇るエリコの町が立ちはだかっていま
した。案じるリーダーのヨシュアが目を上げてみると、「一人の人が抜き身の剣を手に
持って彼の前方に立っていた」(5・13)のでした。この方こそ先在のキリストであり、
ヨシュアはこのお方の前にひれ伏し、足の履き物を脱いで、このお方を「主の軍の将」
としてお迎えしました。このお方によって《約束と作戦》が語られました。「見よ。わ
たしはエリコとその王、勇士たちをあなたの手に渡した。」(6・2)【エリコに対する
勝利は神の賜物であり、この勝利が神の意志によって既に達成されたものであることを
あらわしている。特に「渡した」という言葉は完了形であり、そのことを端的に物語っ
ている。実際の占領は、神の側の既成の事実が、この地上において展開され遂行される
にすぎないのである(天的既決定の地的追決定)。】(『牧羊者』P.93)「七人」「七つ
」「七日目」「七回」「七」は古代イスラエルでは聖なる数であり、「完全数」とも言
われています。神の数「三」と、人の数(東西南北)「四」を足した「七」です。【エ
リコの城壁の崩落の出来事は、イスラエルの民の軍事的行為ではなく、宗教的行為であ
るということである。同時にこの行進は、信仰者の信仰の歩みの行進であるとも見るこ
とが出来る。】(『牧羊者』P.93)
Ⅱ.民の信仰と従順(6・6~21) 「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えな
いものを確信させるものです。」(ヘブル11・1) ヨシュアと民は、主のことばを「ア
ーメン」と信じて受け入れ、主のことばの通りに従いました。武装した者たち・七人の
祭司たち・主の箱・角笛を吹き鳴らすしんがりの者たち、そして民は、6日間町の周り
を沈黙して一周し、七日目は七周回り、ヨシュアの、「ときの声をあげよ。主がこの町
をあなたがたに与えてくださったからだ」(16)との命令を受け、「民はときの声をあ
げ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。角笛の音を聞いて民が大声でときの声をあげると
、城壁は崩れ落ちた。」(20)驚くべき圧倒的な『神による勝利』でした!
  <お知らせ>
▶早くも今週で9月が終ります。9/30(土)~10/1(日)にかけて、「今月のメッセージ」「10月のお祈り」「ヘッダー(小菊)」が更新されます。
▶10月は、よい「伝道の月」になりそうで、主に期待します。

・10/1(日)は「教会創立74周年記念聖餐式礼拝」昼食は久しぶりの「食品100円バザー」他に「物品バザー」も行い、収益は新会堂献金とします。

・10/8(日)14:00~岸義紘先生をお招きしての「サクソフォン&メッセージコンサート」82才の先生のナマ演奏に乞うご期待!4年ぶり、1500枚チラシ配布です。多くの新しい方々の来会をお祈り下さい。

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霊の収穫の種まきに入ります。 2023.9/17(日)

≪今週のみ言葉≫

「信仰によって、モーセは生まれてから三ヶ月の間、両親によって隠されていました。」 ヘブル人への手紙11章23節

   説教題:『モーセの誕生』   聖書:出エジプト記2章1~10節

先週9/10㈰午後のF青年の来訪は、まことに驚きと喜びでした。お父様が海上保安官で、2年間(3~4才の時)の高松在住の折、お母様に連れられて新生教会に来られていたことを覚えて、20年後に訪れたというのですから!神様はどのようなご計画をお持ちなのか、と興味津々の思いで祈ります。本日の幼児モーセについても、驚くばかりの神の御手を覚えます。

Ⅰ.両親の、神への信仰(1~2)。 ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった」(1・8)時、イスラエル民族に危機が訪れました。イスラエルの民が増し加わるのを恐れた王命が発布されたのでした。「生まれてきた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。」(1・22)「さて、レビの家のある人(アムラム)がレビ人の娘(ヨケベデ)を妻に迎えた。(2・1)「彼女は身ごもって男の子を産み、その子がかわいいのを見て、三ヶ月その子を隠しておいた。」(2・2)ヘブル11・23の本日のみ言葉に続いても、「彼らがその子のかわいいのを見、また、王の命令を恐れなかったからです。」とあります。「かわいいのを見て」について、ステパノは「神の目にかなった、かわいい子で」(使徒7・20)と表現しています。【両親は信仰によって、この麗しさは神がこの男の子に特別のご計画を持っておられるしるしであると直感した。生きた信仰を持っているとき、非常に小さな手がかりから神の顧みを信じ、勇気を得ることができる。】(『牧羊者』p.87)

Ⅱ.信仰に報われた摂理の神(3~10)。 3ヵ月も成長すれば、その幼子の泣き声も大きくなり、それ以上隠しきれなくなりました。彼らはパピルスの茎を編んでかごを作り、それに水が入らないよう瀝青(アスファルト)と樹脂をぬって、幼児モーセを入れナイル川の岸の芦の茂みの中に置きました。この「かご」はノアの箱舟と同じ言葉が用いられています。姉のミリアムはこの子がどうなるか見極めようと、そのそばを離れず立っていました。するとファラオの娘が水浴びに来て、そのかごを見つけ、召使いの女に取って来させ、開けてみると男の子が泣いていました。彼女は「かわいそうに思い」「これはヘブル人の子どもです」と言った、その瞬間!姉のミリアムが、「ヘブル人の中から乳母を呼んできましょうか」と言い、王女が「行って来ておくれ」と言ったので、ミリアムはその母ヨケベデを呼んできました。結果、母は王家からの賃金をもらい受けつつ、わが子モーセが大きくなるまで育てたということです。単に乳を飲ませたのみでなく信仰という霊の乳をたっぷり与えての養育が、やがてイスラエルの民をエジプトから引き出すモーセを作り上げたのでした。「モーセ」とは「水から引き出された」ということで王女に名付けられた名前でありました。王女は王命に従わなくてもよいほどの権威の持ち主であったのでした。「神」という字はなくても、鮮やかに「神の摂理の御手」を覚える一連の出来事でした。危機の中に輝いた信仰でした。

 *9/10㈰のCS教師会で、大人・子ども合同礼拝の中に、「CSタイム」を設けて、子ども向けの話を入れることとしました。次回は11/12㈰子ども祝福礼拝です。

  <お知らせ>

▶本日は『ファミリー礼拝』(従来の敬老礼拝)でした。当教会では80才以上の27名の兄姉の方々のために主の祝福をお祈りし、ささやかなプレゼントをお送り致しました。

▶午後は13:00~14:00、第4回「歌声カフェ」です。本日の曲目は、「赤とんぼ」と「主われを愛す・Jesus loves me ♪」の2曲です。詩を味わい、賛美し、美味しいデザートを頂き、共に交わります。

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少しずつ秋が見えてきました。2023.9/10(日)

≪今週のみ言葉≫

「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」マタイの福音書14章27節

説教題:『湖上の奇跡』   聖書:マタイの福音書14章22~33節

「遠い国からの良い消息は、疲れたたましいへの冷たい水。」(箴言25・25)今は、手紙やハガキよりも速くメールでのこうした喜びを分かち合えますが、それ以上に嬉しいのは対面での久しぶりの方々との交わりでしょう。先週はそのような喜びを味わいました。さて、続いてイエス様による驚きの奇跡『湖上の奇跡』です。

Ⅰ.逆風の中で恐れる弟子たち まことにハッピーな『パンの奇跡』のあと、「イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ、その間に群衆を解散させられた。」(22)とあります。実は弟子たちの信仰の試しと訓練のためでした。「イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。」(23)かつて、このみことばで大変恵まれたことがあり、今も心にひびきます。イエス様がどれほどにも父なる神との交わりを大切にし、また必要としておられたかが痛いほど心にひびくみことばです。一方、舟で先に向こう岸に向かわせられた弟子たちはというと、舟はマルコ6・47によると、湖の真ん中あたりにあり、向かい風のために漕ぎあぐねていました。「向かい風だったので波に悩まされていた」(24)のでした。それだけでも弟子たちの心が恐れに満たされるに十分でしたが、「夜明けが近づいた頃、イエスは、湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。」(25)とあり、別訳では「通り過ぎるおつもりであった」(マルコ6・48)とあります。その姿を見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と叫んだのでした(26)。そこで主は本日のみ言葉を話しかけられました。28~32節のペテロの記事はマタイのみ記す独特の記事です。イエスの「来なさい」とのみ声に信じて進む時、何とペテロも水の上を歩いたのでした!が、強風を見て怖くなり沈みかけて、「主よ、助けてください」と叫びました。

Ⅱ.逆風の中で主イエスを見る。 「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」とおっしゃってイエスはすぐに手を伸ばし、ペテロをつかんで二人して舟に乗り込むと、風がやみました。そこでマタイのみがこの弟子たちの信仰告白を記します。「舟の中にいた弟子たちは、『まことにあなたは神の子です』と言ってイエスを礼拝した。」(33) 【五千人の給食の奇跡とこの出来事によって、彼らの告白はイエスを「神の子」として礼拝するまでに至った。まさにこの個所の中心は、イエスが誰であるかということを示しているのである。】(『牧羊者』P,82) 

私たちの人生の逆風の中で、私たちも神の子なるイエスにのみ目を上げつつ、前進していきたいものです。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(ヘブル人への手紙12章2節)

  <お知らせ>

▶ 本日は礼拝後、13:00よりCS教師会です。委ねられた子どもたちのために祈ります。

▶次週、9/17㈰の礼拝は「ファミリー礼拝」です。孫達が祖父母を礼拝に招き、教会からのプレゼントを渡し、祝福のお祈りを共にささげる時です。特に80才以上の方々のため、祝福をお祈りします。(従来の敬老礼拝をファミリー礼拝としました。)

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振起日・ラリーディ礼拝でした。2023.9/3(日)

《今週のみ言葉》

「そして余ったパン切れを集めると、十二のかごがいっぱいになった。」 マタイの福音書14章20節

◇牧師館より祈りを込めて      9/3㈰ 礼拝説教概要

   説教題:『パンの奇跡』   聖書:マタイの福音書14章13~21節

「そして余ったパン切れを集めると、十二のかごがいっぱいになった。」

                                                                             マタイの福音書14章20節

 四つの福音書すべてに記されている奇跡は、主の受難と復活の出来事と、この『パンの奇跡』のみです。弟子たちにとって非常に大きな出来事でした。個人の癒やしから、更には大群衆のための奇跡へと発展したことと、更にはこの奇跡の持つ霊的重要性の故でした。すなわち「わたしが命のパンである」(ヨハネ6・35)と言われた「いのちのパン」そのものであられるイエスによって行われたものだからでした。

Ⅰ.五つのパンと二匹の魚しかありません(17) 弟子たちの【人間的常識】を二つ見ることが出来ます。一つは15節。「夕方になったので」これは夕食時になってしまったことを示します。弟子たちはそこにいた「大勢の群衆」に目をやりました。「女と子どもを除いて男五千人ほどであった」(21)とありますから、女、子どもを入れれば15,000~20,000人はいたでしょう。「ここは人里離れたところですし、時刻ももう遅くなっています。村に行って自分たちで食べ物を買うことが出来るように、群衆を解散させてください。」(15)まことに常識的判断でした。ところがイエスは「あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい。」(16)と言われます。並行記事マルコ6・35~37、ヨハネ6・7を見れば、ピリポを初め、弟子たちは「とてもむりでしょう」と反応します。ヨハネ6・8,9にはアンデレが一人の少年を連れてきて、「大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」と言います。本日のテキストでは、ここには五つのパンと二匹の魚しかありません。」と弟子たちは人間的常識丸出しの返事をしています。

Ⅱ.それを、ここに持って来なさい(18) イエスの深い憐れみの心よりほとばしる出る奇跡が始まります(14)。群衆を草の上に百人づつあるいは五十人づつ座らせました。「それからイエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂いて弟子たちにお与えになったので、弟子たちは群衆に配った。」(19)のでした!配っても配ってもなくなりません!「人々はみな、食べて満足した。そして余ったパン切れを集めると、十二のかごがいっぱいになった。」(20)のでした!貧しい大麦のパン五つと、二匹の干し魚という貧しい小さなささげものを名もない一少年が、イエスにささげました。自分一人だけで食べようとしていたお弁当でした。「それを、ここに持って来なさい。」とのイエスのみ声にお従いして、全部おささげした結果、想像を絶するような奇跡が展開されました!どんな貧しく小さなものであっても、全部、主イエスの御手におささげする時、驚くばかりのことが起きるということです。喜んで主イエスの御手におささげしたいものです。その時、自分のみでなく、途方もなく大勢の人々に主イエスの恵みが及んでいくということです。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネの福音書6章35節)

<お知らせ>

▷「振起日・ラリーディ」とは「全員集合!」という意味の込められたものです。夏の間、アチラコチラ散っていた人々が揃って、秋の陣に向かって共に備えましょうと!

▷本日は午後1時から「プロジェクト希望にむかって委員会」が行われます。「新会堂」のビジョンにむけて、熱く祈りたいと願います。ご加祷下さい。

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