- ペンテコステ聖餐式礼拝でした。2026.5/24(日)
牧師館より祈りを込めて 5/24㈰ 礼拝説教概要
説教題 「聖霊による喜び」 聖書 ルカ10:1~21
「イエスは、聖霊によって喜びにあふれて・・。」(ルカ10:21)
ここには、宣教旅行から帰ってきた72人の弟子たちを主がお迎えになったときの喜びが記されています。
1,天と結ばれた喜び
「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(20)この喜びはしばしば別の喜びに隠されていて、命じられ促されて初めて気づかされる喜びであるかもしれません。この時の弟子たちの喜びは、奉仕の結果に大喜びし、特に悪霊が自分たちに従うという驚くべき経験に興奮していました。確かにそれは、主が委ねてくださった霊的権威を用いるという素晴らしい奉仕の喜びでした。 しかし、それはまた容易に失望、落胆につながる喜びでもあるのです。 ですから、主イエスは「喜ぶな、むしろ、このことを喜べ」と命じて私たちの真の喜びの源泉が何であるかを示し、そのことを喜ぶようにと「喜びの転換」を命じられました。 ご聖霊は、私たちの思いを引き上げて地上の喜びから天上の喜びへと移してくださいます。クリスチャンは地上の喜びを求め、その喜びだけに終始し、満足していてはならないのです。 (コロサイ3:1~3)
2,神が賛美されることを喜ぶ喜び
主は祈りの中で「あなたをほめたたえます」(21)と言われました。主イエスは父なる神が常に賛美され、父に栄光が帰せられることを願われました。神が賛美されほめたたえられることが主の喜びだったのです。私たちにとって、主を賛美できることは大きな喜びですが、さらに主が賛美されること、主が賛美され主に栄光が帰せられることを喜ぶことができますように。 御霊が与えられる喜びは、わたしたちでなく、ただ神様だけが称賛されることを喜ぶ喜びなのです。
3,神のみこころが成ることを喜ぶ喜び
「そうです、父よ、これは御心に敵うことでした。」(21)この主のことばに、主イエスが「父なる神のみこころが成ること」を喜びとされたことが表わされています。聖霊による喜びは、自分にとっては不都合であっても苦しい立場に置かれたとしても、神のみこころを第一にし、神のみこころが自分を通してなされることを喜ぶ喜びなのです。ゲッセマネでもカルバリにおいても、そのことが主の御生涯の一貫した姿勢でした。私たちは自分の思いや願い自分の計画があって、それに神が助けを与えて願い通りになっていくことを幸いと思う信仰者でしょうか。それとも、神が私のために持っておられるみこころとご計画があって、私がそれに従うことにより神のみこころがなされていくこと、それを喜びとする信仰者でしょうか。聖霊の助けを祈り求めましょう。
「わが神よ、わたしはあなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえはわたしの心のうちにあります。」 詩篇40:8
