第Ⅲアドベント礼拝でした。  2023.12/17(日)

≪今週のみ言葉≫

「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」マタイの福音書1章21節

   説教題:『マリアとヨセフ』   聖書:マタイの福音書1章18~25節

「クリスマス」とは、「キリストーマス・キリストの祭」で、主役はもちろん神の御子イエス・キリスト様です。しかし、その誕生のためのあまりにも重大な脇役の務めを委ねられ、全うした『マリアとヨセフ』の信仰と献身に思いを馳せてみたいと思います。お互いに同じ「人」として。

Ⅰ.マリアへの受胎告知(ルカの福音書1章26~38節)

「その名は『不思議な助言者』」(イザヤ9・6)と呼ばれるお方の誕生をめぐって、まさに数々の『不思議』が展開されます。不妊の女だった祭司ザカリヤの妻エリサベツが、子(バプテスマのヨハネ)を宿した。その6ヵ月後に「御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。」(ルカ1・26)「異邦の民のガリラヤ」(イザヤ9・1)です。「この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。」(27)御使いはマリアに、「おめでとう、恵まれた方、主があなたとともにおられます。」(28)と挨拶し、彼女が身ごもって男の子を産むので、イエスと名付けるように、その子はいと高き方の子と呼ばれますと、明らかにユダヤ人たちが待ち望んできた「メシア」を産むと予告されたのでした。人として、不可能としか思えないことも「神にとって不可能なことは何もありません。」(37)と語られ、エリサベツのことも告げられ、マリアは答えました。「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と。言ってみれば、<命がけの信仰と献身>でした。

Ⅱ.ヨセフへの夢告知(マタイ1・18~25)

ユダヤ人に向けて記されたマタイの福音書の著者マタイは、1~17節の系図から始めます。ユダヤ人にとって系図は重要なものでした。そして、メシアは、ダビデの家系から誕生するはずでしたから。婚約者マリアの身に起こった出来事、「処女が身ごもっている」ことを知り、正しい人ヨセフ、マリアを愛するヨセフの苦悩は計り知れないものでした。「ひそかに離縁しようと」人間的に思ったのでした。ところが、「主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。』」と。「ダビデの子」と呼ばれているお方は、イエス・キリストとここヨセフのみです。マタイはイザヤの預言、「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。と記します。ヨセフは眠りから覚めて、主の使いが命じた通りにしたのでした。【ヨセフがイエスの父というのは名ばかりのことでは決してない。ヨセフはその従順な信仰によって、イエスの単なる名目上の養父ではなく、彼にダビデの子孫としての地位を与える重要な役割を果たす、地上での父親とされたのである。】(『牧羊者』p,73)【救い主に対する当時の一般的な期待は政治的な救いであったが、イエスがもたらす救いは「罪から」の救いなのである。】(同p.74)「目で見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は神を愛する者たちに備えてくださった。(コリント第一2・9、イザヤ64・4)。

  <お知らせ>

▶今月は10日ごとに「ヘッダー」が更新されています。

▶ 礼拝後は昼食の後13:00~14:00、「歌声カフェ⑥」が開催されます。クリスマスの代表的賛美♪きよしこの夜、いつどのようにして生まれ、賛美されてきたかを知って、心よりクリスマスの主をたたえたいです。

▶次週12/24㈰は、いよいよ『クリスマス礼拝』の聖日です。全世界の教会で、救い主御降誕の感謝がささげられ、まだ真のクリスマスをご存知ない多くの方々に伝えられますようにと、心よりお祈り致します。

Posted in 今週のお知らせ | 第Ⅲアドベント礼拝でした。  2023.12/17(日) はコメントを受け付けていません

第Ⅱアドベント礼拝でした。2023.12.10(日)

≪今週のみ言葉≫

「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」イザヤ書9章6節

   説教題:『メシア預言』   聖書:イザヤ書 9章1~7節

 続いて、イザヤによる『メシア預言』です。1節の辱めを受けた地、「ゼブルン」と「ナフタリ」は、ガリラヤ湖西北にある地方で、B.C.734~732年、アッシリアの侵入によって大打撃を受けた北王国の領土でした。その南に位置する「海沿いの道(メギド)」「ヨルダンの川向う(ギルアデ)」、「異邦の民のガリラヤ」は栄誉を受けるとあります。その地に「大きな光」が見られ、「光り輝く」(2)と言われます。この光はメシアを指します。【「見る・・・輝く」言語では完了形。預言者的完了と呼ばれる。実際は将来のことも、預言者の目には既に起こったことのようにはっきりと見えているのである。】(『牧羊者』P.67) その光として来られるお方がどのようなお方かが、6節に記されています。

Ⅰ.ひとりのみどりご 暗闇の地、死の陰の地にお生まれになる「ひとりのみどりご」です。【ある日、赤ちゃんが若いお母さんの背に負われている姿を見かけました。ぐっすりと眠っています。頭をお母さんの背にもたせかけ、両腕と両足は、お母さんの歩みのリズムに合わせて、ぶらぶらと揺れていました。全く委ねきった姿でした。みどりご ー自分では何一つできない存在。全面的に母に依存している存在。全能なる神のひとり子なるお方が、何ひとつ自分ではおできにならない存在となり、マリアとヨセフに、いえ、神のみこころと御手に全面的におゆだねになったのです。】(『神と共に歩む日々』12/1分より)このみどりごが「私たちのために」生まれ、男の子が「私たちに」与えられました。「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。」(口語訳)

Ⅱ.その名は「平和の君」  「主権はその肩にあり」この方は、王の王、主の主なるお方で、全世界、全宇宙、全歴史を治められると共に、まことに小さな私の生涯をも、良きに統べ治めて下さるお方なのです。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)何という信仰の幸い!「不思議な助言者、力ある神、永遠の父」と、味わえば圧倒されます。そして「みどりご」の姿に反映されている「平安」を思う時、特質のクライマックス(頂点)が「平和の君」でしょう。一つには、このひとり子キリストご自身に内在される「神の平和」(ヨハネ8・29)、もう一つには神との平和を回復して下さる唯一のお方(エペソ2・14)。さらには人々との平和を保ち、平和をつくり出す神の子とさえされるのです。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイの福音書5章9節)。

  <お知らせ>

▷12/3(日)第Ⅰアドベント聖日の夕、「クリスマスイルミネーション点灯式礼拝」を行いました。以後、毎晩17:00~22:00ツリー型のイルミネーションと、礼拝堂の壁に大きな星がキラキラときれいに輝いています。クリスマス前になぜ「電飾」?と思われる方がおられたら、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネの福音書8章12節)と言われたキリストが、救い主としておいで下さったのだと知ってほしいと祈ります。

▷今も暗闇の世です。このアドベント・クリスマスに「まことの光」なる救い主キリストと出会い、新しい人生に入られる方々が、諸教会を通して起こされますようお祈りします!

Posted in 今週のお知らせ | 第Ⅱアドベント礼拝でした。2023.12.10(日) はコメントを受け付けていません

第Ⅰアドベント礼拝でした。 2023.12/3(日)

≪今週のみ言葉≫
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
イザヤ書7章14節
 説教題:『インマヌエル預言』 聖書:イザヤ書 7章1~17節
 主の2023年も早くもアドベント(待降節)に入りました。世界の救い主 主イエス・キ
リスト様の御降誕を記念するクリスマスを祈り、備えつつ待ち望みます。
Ⅰ.イザヤのインマヌエル預言 本日の中心聖句の「処女」とは「マリア」であり、「男の
子」とは「神のひとり子、イエス・キリスト」であり、「インマヌエル」とは「インマ
ー(共に)」「ヌー(われら)」「エル(神)」というヘブル語です。「真の神と真の
人がドッキングしたといいますか、これ以上一緒にいることが出来ないというあり方で
、一つになってくださったのがイエス・キリストです。~だからイエス・キリストこそ
が、インマヌエルの事実なのです」(「イザヤ書講解」小林和夫著 ホーリネス教団出
版局P.134)。【この個所はキリストの処女降誕の預言であるが、この預言は当時の具
体的な危機的状況下でなされたものである。時はユダの王ウジヤの子ヨタム王が死に、
その子アハズが即位して間もなくのことで、B.C.734年と推定される。】(『牧羊者
』P.61)すなわちこの≪インマヌエル預言≫とはキリスト降誕の700年も前に、イザヤに
よって語られたということです。
Ⅱ.マタイのインマヌエル成就(マタイ1・18~25) 四福音書の最初の「マタイの福音書」
は収税人マタイによって、特にユダヤ人向けに記されたものと言われています。ですか
ら「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった
」(マタイ1・22)という表現が数多く用いられています。実はマタイの福音書とは≪イ
ンマヌエル≫で始まり≪インマヌエル≫で終るものであり、更にはその間にも≪インマ
ヌエル≫が登場しているのです。初めは「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子
を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと「神が私たちとともにおられる
」と言う意味である。(マタイ1・23)。終わりは、「見よ、わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28・20)。そして真ん中には、「二人か
三人がわたしの名において集まっているところに、わたしもその中にいるのです。」(
マタイ18・20)です。まさに≪常臨在≫がイエス・キリストの十字架と復活の事実によ
って実現・可能となったのです。≪インマヌエル≫ー神われらとともにージョン・ウェ
スレーは、死の床にて、このことが私の生涯で一番良かったことだと告白しました。永
遠に共にいて下さるインマヌエルの主にハレルヤ!
  <お知らせ>
▶第Ⅰアドベント礼拝にて、主の聖餐にあずかり、感謝でした。
▶礼拝後は、希望者のために「新会堂候補地-香南由佐」の見学に行きます。
▶16:00~16:30「クリスマスイルミネーション点灯式礼拝」を教育館前にて行います。以後、2024年1月13日(土)まで、毎夜17:00~22:00暗夜に輝きます。「わたしは世の光です。わたしに従うものは、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネ8・12)と言われている救い主イエス・キリストを示します。多くの方々がこのクリスマスに、この「真の光」の内に招かれますように心よりお祈りします。

Posted in 今週のお知らせ | 第Ⅰアドベント礼拝でした。 2023.12/3(日) はコメントを受け付けていません

収穫感謝礼拝でした。2023.11/26㈰

≪今週のみ言葉≫

「あなたは時にかなって 彼らに食物を与えられます。」詩篇145篇15節

 

   説教題:日々、糧を与えてくださる神』   聖書:145篇 8~16節

 収穫感謝の喜びは、今年はK家より頂いた200個をはるかに越える数の甘くて美味しい柿、さらには個人的には京都の友人からの大枝名産の巨大な柿で心満たされました。役員会や四国聖会委員会で感謝して頂きました。

 Ⅰ.収穫感謝の始まり 収穫感謝祭の由来は~  1620年9月6日、102名の清教徒(ピューリタン)たち、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれた方々が、信仰上の迫害を受けてメイフラワー号に乗船して、イギリスからオランダに渡りましたが、そこでも迫害され、アメリカに向かい、12月にプリマスに上陸しました。彼らはまず教会を建て、更に自分たちの家を建てたものの、その冬の厳しさは格別で、十分な食糧もなく、約半数の人たちが飢えと寒さで凍え死んでしましました!何という過酷な試練だったことでしょう。アメリカン・インディアンの方々にトウモロコシの作り方や種まき、刈り入れについて教えてもらい、翌年には大収穫が与えられたのでした。彼らは喜びに満たされ、90名ばかりのインディアンの方々をお招きして、そこで「大収穫感謝祭」が行われました。1864年、リンカーン大統領は11月第4木曜日を固定祭日とし、日本の教会では11月第4聖日に収穫感謝礼拝となりました。

Ⅱ.日々の糧を求める祈り 「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」これはイエス様が「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。」(マタイ6・9) 「祈るときには、こう言いなさい。」(ルカ11・2)と言われて教えて下さった『主の祈り』の中の祈りの言葉です。短い祈りの言葉ですが、多くを含んでいる祈りです。

  • 糧をお与えください。「創造」とは、何も無いところに造り出して下さった神のわざです。食物となる、ありとあらゆるもの、一生見ることも味わうこともないような食べ物もたくさんあることでしょう。確かに人が種を蒔き、水をやり、肥料もやり育てるのですが、そもそも、その始めの種(いのち)は、神の創造によります。太陽や風の力もしかりです。この神以外に私たちに食物を備えてくださる方は、他にありません。地に生え育つもの、木の実となって実るもの、空の鳥、野の動物、海の魚、限りなく神が与えてくださる糧です。感謝以外の何ものでもありません。

②今日もお与えください。今日も健やかにして、食することができますようにとの祈りでしょう。食物が備えられても身体が不調であるならば喜び、楽しんで食することが難しくなります。日々の霊肉の健康を祈る祈りでもあります。

③私たちにお与えください。「私」だけにではありません。「私たち」とあります。もちろんそこには家族が含められるでしょうし、教会の皆様への心配りもあることでしょう。さらには「食糧」の乏しい方々のために、との祈りでもありたいのです。「幸いなことよ 弱っている者に心を配る人は。」(詩篇41・1)

聖書の神は、<弱い者、貧しい者、苦しむ者etc.>に対して憐れみ深いお方です。私たちの心も祈りもそうありたいものです。

  <お知らせ>

▶「収穫感謝礼拝」の由来のできごとを毎年覚えるたびに感動します!

▶11月、当教会にて2つの「外部の先生方、兄姉方をお迎えしての集会」が祈られて備えられて主のみ前にささげられました。その感想は「対面はいい!恵みと感謝に溢れました!」の一言です。これからさらに祈りのリンクの内に共々に主の栄光のために用いられていきたく願い祈ります。

▶今週末には早くも12月に入ります。「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(赤い実の樹)」が更新されます。

▶共々に良いアドベント・クリスマスをお迎えいたしましょう!

Posted in 今週のお知らせ | 収穫感謝礼拝でした。2023.11/26㈰ はコメントを受け付けていません

「よくやった。良い忠実なしもべだ。」マタイの福音書25章21節

牧師館より祈りを込めて      11/19㈰ 礼拝説教概要

   説教題:『賜物を生かす』   聖書:マタイの福音書25章14~30節

    「よくやった。良い忠実なしもべだ。」マタイの福音書25章21節

11/15㈬当教会にて「愛と希望の祭典in四国」(ウィル・グラハム大会2026年5月)『決起祈祷会』が行われました。<教団教派を超えて、四国の諸教会が一つとされて教会の活性化と救霊の実を結ぼう>という企画です。BGEA(Billy Graham Evangelical Association ビリー・グラハム伝道協会)との提携の元に5年前から準備が始められました。その場に身を置きながら、このことはどれほど神様のお喜びになられることだろうかと霊感したことでした。「あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」(ガラテヤ3・28)これはケズイックのスピリットです。本日も「天国」についてのイエス様のたとえ話「タラントのたとえ」です。「天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。彼はそれぞれの能力に応じて、一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。」(14,15)「タラント」とは当時のお金の単位の一つで、今の日本円にすると、一タラントは6,000万円にも相当するものです。能力・賜物を職業とする人々をタレントと言いますが、神様はそれぞれにふさわしいタラントを与えていて下さいます。

Ⅰ.賜物を活かした人(16,17,19~23) 「五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントもうけた。同じように二タラント預かった者もほかに二タラントもうけた。」(16,17) かなりの時がたって、この主人が旅から帰ってきて、彼らと精算をしました。五タラントあずかった者は進み出て、「もう五タラント」をさし出しました。「ご覧ください。私はほかに五タラントをもうけました。」と。二タラントを預かった者も同じようにしました。主人は、この二人に、全く同じ言葉をかけました。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」と。二タラントは1億2,000万円、五タラントに至っては3億円ともなるのですが、主人にとっては「わずかな物」だったのでした。何が問われるのかというと、「良い忠実なしもべ」ということでした。預けられた物に対し、忠実に扱うということでした。そしてそのことが、この主人を大いに喜ばせたということであり、ともに喜んでくれとさえ言われるのです。

Ⅱ.賜物を無駄にした人(18,24~30)

一方、一タラントを預けられた人は、「地面に穴を掘り、主人の金を隠した」(18)のでした。この人は、主人がどのような人かについて、思い違いをしていました。その結果、地の中に隠していた一タラントをさし出した時、主人は答えました。「悪い、怠け者のしもべだ。」「銀行に預けておくべきだった。」その一タラントは十タラントを持つ者に与えられ、彼は外の暗闇に追い出されてしまいました。他人との比較ではありません。神様はそれぞれにふさわしい賜物を必ずや与えていて下さいます。「信仰」という賜物。生かされていますか。「祈り」という賜物。生かされていますか。【個人的な証し】伝道師として母教会で教会学校幼少科を任されていた時、この聖書の箇所から「もう五タラント、ほかに五タラント・質・量ともに」と心に響くものがあり、祈りと訪問に励みました。その中である日、神様が語られました。「この一人のために死ねますか?」さらに「一人の魂の重味」を受け取らせられたことでした。以来、涙の祈りとされました。生徒の数は、それまでの3倍以上の100名を超える数となりました。

<お知らせ>

▷ヘッダーが、11/16(木)(後半)から更新されています。

▷11/12(日)の子ども祝福合同礼拝には、幼小中学生が10人集い、初めてのお母さん一人、子どもたちが3人が来られて本当に感謝しました!お祈りを感謝します!

▷11/15(水)の「愛と希望の祭典・四国~決起祈祷会」も祝福され、これから《祈りのうねり》の内に、2026.5/4~5の本大会に向けて備えます。11教会から28名参加、(教職17名、信徒11名)でした。

▷本日は、60年余、信仰を共にしてこられた姉妹の送別会です。天国での再会という方々が多いと思われますが、しかし、必ず、再開できるのですから、クリスチャンたちは幸いです。アーメン!

Posted in 今週のお知らせ | 「よくやった。良い忠実なしもべだ。」マタイの福音書25章21節 はコメントを受け付けていません