3/20㈯は春分の日でした。 2021.3/21(日)

≪今週のみ言葉≫

「そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。」マタイ27章26節

    説教題:『真理に従って生きる』

    聖 書:マタイの福音書27章11~26節

今年の「受難週礼拝」(パームサンデー)は次週3/28㈰です。その週の木曜日が「洗足日」そしてその夜ゲッセマネの園の祈り、それからイエスは捕えられて、翌朝金曜日、総督ピラトの最後の裁判の席に引き出され十字架刑に処せられます。ピラトは紀元26年頃~36年ローマからユダヤ地方統治のために派遣されていました。平常はカイザリヤに居住していましたが、過越しの期間、監視を強めるためにエルサレムに滞在していたようです。

Ⅰ.強い人たちと弱い人

「強い人たち」とは、「祭司長たちと民の長老たち、そして彼らに扇動されたユダヤ人群衆」です。「ピラトは彼らがねたみからイエスを引き渡したことを知っていたのである」(18)とありますように、祭司長たちと民の長老たち、すなわち宗教家たちの妬みが、イエス様をピラトの裁判へと引いてきました。ピラトが「あの人がどんな悪いことをしたのか」(23)と言うほどに、ピラトはイエス様の無罪を確信しました。その上、妻から夢の話を聞いて、何とかイエスを釈放したいと願いました。祭のたびに、群衆の為彼らが望む囚人を一人釈放することにしていました。ピラトとしては、キリストと呼ばれているイエスを、と願っていたことでしょうが、「強い人たち」は、「バラバを」と答えました。「では、キリストと呼ばれているイエスをわたしはどのようにしようか」とピラトが言うと、「十字架につけろ」と言います。その叫びはますます激しくなり、暴動になりそうなのを見て、ピラトは水を取り、手を洗って「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」と保身に走りました。ピラトこそ「弱い人」であったのです。真理、正義を求めることをせず、自分の良心に従うこともできず、人々の顔色をうかがって誤った判断をしました。そして「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と、使徒信条の中で告白され、語り継がれることになってしまいました。「強い人たち」とは、もちろん神から離れ、神に従えない我(が)の強い強情な人たちでありました。

Ⅱ.真理に生きた真に強い人

それが救い主イエス・キリストでした。自分に不利な証言がなされても、自己弁護のことばを発するわけでもない。まさにペテロがその手紙の中に記しているように、「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しく裁かれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。」(ペテロの手紙第一2章22~24節)の通りです。ここではその象徴のようにして、バラバは死刑を免れて釈放されました。お互いは皆バラバなのです。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネの福音書14章6節)

<お知らせ>

▷昨日は春分の日。昼と夜の長さが同じ。これから、明るく暖かく、暑く!なっていきます。コロナの収束を熱く祈ります。

▷3/27㈯には、春休みに入った子どもたちのためのお楽しみ会を五色台セラピーガーデンにて行います。馬に乗ったり、陶芸をしますが、残念ながらおいしいピザはありません。

▷3/28㈰は、パームサンデー(受難週礼拝)です。私のためのイエス様の十字架を深く味わいましょう。

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