冬!?また秋にもどりました。2020.10/11㈰

≪今週のみ言葉≫

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」。

ガラテヤ2章20節

説教題:『神からの祝福』  聖 書:創世記32章22~32節

ヤコブの生涯の重大な二つの経験、それが「ベテル(神の家)」と「ぺヌエル」(神の顔)の経験です。新約のクリスチャンにとっては「水のバプテスマ(新生)」と「聖霊のバプテスマ(聖化)」の経験です。今週の聖句は後者の代表的なみ言葉です。ラバン(リベカの兄)との20年間はヤコブにとって労苦の日々でした。しかしその中で二人の妻と二人の女奴隷、彼女たちにより11人の息子たちが与えられ、さらに多くのしもべたちや家畜が与えられました。そんなヤコブがラバンに妬まれるようになり、神様は「父の家に帰りなさい」と語られました。懐かしい故郷、しかしそこにはエサウがいます。ヤコブは贈り物をもってエサウの心をなだめようとします。神に祈ります。それでも恐れは去りません。

Ⅰ.格闘するヤコブ(24~29) ヤボクの渡し場から二人の妻と二人の女奴隷と11人の子どもたちを渡らせましたが、ヤコブは一人だけ後に残りました。すると「ある人が夜明けまで彼と格闘した」(24)のでした。「その人はヤコブに勝てないのを見て取って、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節はその人と格闘しているうちに外れた」(25)のでした。ヤコブ(押しのける者)の自我、突っ張りが砕かれたのでした。その人は言います。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエル(神の皇太子)だ。あなたが神とまた人と戦って勝ったからだ。(28)というのも、「夜が明けるからわたしを去らせよ」とその人が言っても、ヤコブは「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」(26)と粘り抜いたからでした。ヤコブが、「どうか、あなたの名を教えてください」と言うと、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場でヤコブを祝福したのでした!(29)

Ⅱ.祝福されたヤコブ(29~30) そこでヤコブはその場所の名を「ぺヌエル」(神の顔)と呼びました。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である(30)。ヤコブにとって<新しい太陽が昇りました>。彼は神の使いに打たれたもものゆえに足を引きずっていました。思いのままに自我の思うままに突っ走るヤコブは、神の前に「敗北し」、「彼は主にしがみつく力しか持ち合わせない者とされた。これは神に取り扱われ、砕かれ、主の臨在を知った者の勝利に他ならない」(「牧羊者」2020年度第Ⅲ巻P26)。 エサウとの再会で、ヤコブは、「私は兄上のお顔を見て、神の御顔を見ているようです。兄上は私を喜んでくださいましたから。」(33・10)と言って神の御顔を見て、なお生かされた経験と重なり合わせています。私の「ベテル」を思い起こし、神の恵みに感謝しましょう。私の「ぺヌエル」を確かな霊的経験として、さらに深い主の臨在の内に生かされましょう。ガラテヤ2章20節を生きる者とされ、『祝福を継ぐもの』として用いられましょう。

<お知らせ> 

▷礼拝の中10/16㈮「世界食料デー」を覚え「ハンガーゼロ」(日本国際飢餓対策機構)のお働きのため、飢餓で苦しむ方々のため祈りました。有志で引き続き献金させて頂きます。

▷コロナの終息もいつになるか?台風シーズンもあり、気温の変化はまことに激しい中、祈り・対応し守られましょう。

▷「収穫の秋」、クリスマスに向けて「魂の収穫」のために信仰の祈りを!すでに備えられている方々に更に加えられる方々が与えられますように。お祈り下さい。                  

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