1月最終礼拝でした。2024.1/28(日)

≪今週のみ言葉≫

「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け。」マタイの福音書17章5節

   説教題:『キリストの栄光』    聖書:マタイ17章1~8節

「ピリポ・カイザリア地方に行かれたとき」(16・13)、ペテロは、「あなたは生ける神の子キリストです。」(16・16)との、偉大な信仰告白をしました。イスラエルに詳しい方から聞いたところによると、ピリポ・カイザリアという所は、ちょうど水が二つに分かれる「分水嶺」の地です。このペテロの告白もちょうどそのように、人類を二つに分ける重大な告白だったのですと。「それから六日目に」(17・1)とあり、「イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」(17・1)のでした。神は懇ろなお方で、「生ける神の子キリスト」の栄光のお姿を彼ら3人に見せようと導かれました。「ペテロとヤコブとヨハネ」この3人だけを伴った他の時は、「ヤイロの娘のよみがえり」(マルコ5・37)と、「ゲッセマネの祈り」(マタイ26・37)の時でした。この3人は言わばイエスの側近であったということです。

Ⅰ.キリストの栄光の顕現(1~4) 「すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。」(2)この変化は、単に服装を変える程度のものではなく、根本的な変化、すなわち【あのグロテスクなさなぎが羽化して美しい蝶へと変化するような変化をさす。】(『牧羊者』p.33)ここで、まさにイエスは、「生ける神の子キリスト」としての栄光を弟子たちの目前にあらわされたのでした。これは地上での生活の中で、最初であり最後でした。さらには、「そして、見よ、モーセとエリヤが彼らの前に現われて、イエスと語り合っていた。」(3)のでした。モーセは律法の代表であり、エリヤは預言者の代表でした。彼ら二人は、山において直接、神と語った人々であり、二人とも当時の人々からは死んでいないと思われていました。この二人は何をイエスと語り合っていたのでしょうか。ルカによると、「イエスがエルサレムで遂げようとする最後のこと」(9・31)、即ち十字架と復活についてでした。この栄光の顕現を目にして、ペテロはとっさに3人のために幕屋を一つづつ造りますと語りました。マルコ(9・6)もルカ(9・33)もペテロが恐れのゆえに自分が何を語っているのか分からないでいたと記していますが、【当時、古代中近東の世界では、大切な客には敬意を払ってテントを立てる習慣があった.】(『牧羊者』p.34)とのことです。 Ⅱ.キリストの栄光の証言(5~8) ペテロがまだ話している間に「見よ、光り輝く雲が彼らをおおった。すると見よ、雲の中から『これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け。』という声がした。」(5)光り輝く雲は、神の臨在を示し、その中から、神ご自身の声が響きました。キリストは、父なる神の愛する子にして、神に喜ばれる存在であるゆえ、彼に聞くようにとのみ声でした。天からの「キリストの栄光の証言」でした。ひれ伏す弟子たちに主は触れられ「恐れることはない」と語られ、弟子たちが目を上げると、「イエス一人のほかには、誰も見えなかった」(8)のでした。キリストこそ、神の子としての信仰を堅くし、いつもこの主を目の前に置き凝視し、この方の言われることに聴き従う私たちとされ、私たちもまた「これは私の愛する子。わたしはこれを喜ぶ」とのみ声がかけられる存在として生かされていきましょう。

<お知らせ>

▷早くも1月最終礼拝をおささげしました。週半ばには、「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(きんかん)」が更新されます。

▷次週、2/4(日)には、礼拝直後に2024年度の「教会総会」が行われます。現住正会員がそろって出席し、心一つに新しい主の2024年度の歩みを踏み出せますようにお祈り下さい。

This entry was posted in 今週のお知らせ. Bookmark the permalink.

Comments are closed.