収穫の秋を迎えました。 2023.10/29(日)

≪今週のみ言葉≫

「アブラムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。」 創世記15章1節

   

   説教題:『大いなる報い』   聖書:創世記15章1~6節

アブラハムはケダラオメル王の復讐に脅えていました。そんな時、神様より語り掛けがあったのです。それは、「私があなたの盾となって守るゆえ、恐れなくていいのだ。それに、あなたの受ける報いは、はなはだ大きいのだ。」と励まし約束して下さったのです。しかし、現状は一人の子どもも、寸土の土地も与えられてはいませんでした。

 Ⅰ.アブラハムへの報い 

アブラハムは、カルデヤ人のウルの出で、カランに居た時、神様から「この地を立ち、わたしが示す地へ行きなさい。そうすればあなたの国民は大いなるものとなるのです。」との約束を得たため旅立って行ったのです。そのカナンの地はすべて所有者が居て彼の得る土地などなかったのです。さて、彼の生涯を見る時、報いとして与えられたものは、彼の子イサク一人だけでした。土地は全く与えられなくて、不自由なテント生活で生涯を終えています。そうすれば、神様の約束は何だったのでしょうか?神様は嘘をついたのでしょうか?

  {説教者の証し}  私が祈っていた時の事です。祈って来た事で、どれほど祈りの応えはあったのだろうか?と考えると、あまり答えられていないような気がしたのです。なんだ!祈りとは効率の悪いものだなぁ!と分かるとなんだか祈るのが億劫になりました。すると、「神様から何を与えられ持っているのか?」と、問われたような気がしたので考えました。そうだ、『この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。(コロサイ1・27)』とあるように、主を持っているではないか!その主こそ万物の所有者ではないか、その主を持つ私はまた、すべてをすでに持っていることになるではないか!ハレルヤ!」と気づかされました。アブラハムに神様が与えようとしたものは、この世のモノではなく、神そのものだったのです。

 Ⅱ.不足の中の満足 

キリストの使徒で、キリスト教で最大の働きをした大聖徒パウロはその生涯は不自由と困難の連続でした。当時の世界に福音を伝えました。その報いは、命の危機、投獄、むち打ち、難波、貧困、飢え、などそれに病の苦しみが続きました。その最後は福音を伝えて殺されました。その彼は、「何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。」(Ⅱコリント6・10)と、言っています。イエス様の降誕においても、イエス様は馬小屋の中にしか産屋は与えられませんでした。不足の中に輝く希望の星でした。「大事なことはイエスから何をしてもらうかよりも、イエスが共にいて下さることを知る事である。それが信仰だと思う。」(榎本保郎先生)

さて、私たちは何を与えられているのでしょうか?

  <お知らせ>

▶ 本日は礼拝後、年2回のワックス掛け他、「教会大掃除」ならびに11/3㈮㈷に当教会にて久々に行われる第27回「四国教区信徒大会」のための準備です。

▶信徒大会では、各教会から1名「救いの証し」をして頂き、また午後のグループタイムでも自己紹介や救いの証しを全員が分かち合い、救霊への熱情をそれぞれ頂いて遣わされようとの企画です。主の祝福を信じます!どうぞ覚えてお祈り下さい。

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