9月第一聖日・振起日を迎えました。 2021.9/5(日)

≪今週のみ言葉≫

「モーセが手を高くあげているときは、イスラエルが優勢になり、

  手を下ろすとアマレクが優勢になった。」出エジプト記17章11節

説教題:『祈りの手』      聖 書:出エジプト記17章8~16節

「異民族との戦い」―荒野でイスラエルに試みられたのは、食べ物や飲み水ばかりではありませんでした。アマレクは創世記36章12節によればエサウの子孫でした。彼らはイスラエルの民が神に守られているのを承知で、なお戦いを挑んできました。いわば私のうちにあって神に対抗する肉の力、サタンの力と見ることができます。アマレクと直接対戦したのは勇将ヨシュアと選ばれた人々でしたが、その主役は丘の上のモーセと、その祈りの手を日が沈むまで支えたアロンとフルでした。主の命により勝利を記録したモーセは、祭壇を築き、それをアドナイ・ニシ(「主はわが旗」口語訳)と呼んで、神こそ戦いの主役と仰ぎ、栄光を神に帰しました。今も変わらず、クリスチャンの最大の戦力は実に祈りであり、勝利はアドナイ・ニシからです。(以上『神と共に歩む日々』2/10分より)

Ⅰ.戦う人ヨシュア(10,13)「聖書の中でヨシュアという名が記されるのはここが最初である。実際にはこの時の名はヨシュアではなくホセアだったようである。(民数記13・16)。いずれも名の意味は<主は救い>であり、ギリシャ語では<イエス>となる。」(『牧羊者』p.69)モーセからの命令を受けて、ヨシュアはアマレクと対戦しました。時にはヨシュアとイスラエル側が優勢になり、時にはアマレクの方が優勢となりながらの戦いでした。その原因は、実は戦っているヨシュアにあったのではないことが分かってきます。

Ⅱ.祈る人モーセ、そしてアロンとフル(9~12)

「私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」(9)神の力と臨在の象徴である神の杖を持ってモーセは、丘の頂に立ちました。アロンとフルも共に登りました。モーセが手を高く上げているとき」(11)それは「祈っているとき」でした。「手を下ろす」すなわち力なく手を下げる。祈れなくなっているときは、アマレクが優勢になったのでした。それでアロンとフルは石の上にモーセに腰かけてもらい、左右からモーセの祈りの手を日没までしっかり支え、祈り抜かせて、ついにヨシュアとイスラエルはアマレクを打ち破ったのでした。この記事は、いつも私に、1980年10月に行われた「ビリー・グラハム国際大会」を思い出させます。そのポスターには、ビリー・グラハム博士の祈る姿があり、その下には≪アロンとフルはあなただ!≫と記されていました。そして大きく≪祈りのうねり≫とのキャッチフレーズが絶えず心を励ましたものでした。祈りました。個人でも教会でも本当に祈りました!10/8~12、私は10/8,10,12の3回大阪日生球場での大会に岡山からバスで参加しました。2,000人の聖歌隊の中で賛美しました。そして開場前、その球場に人、人、人が大河のように流れ込むのを目のあたりにし、「この日本で!!」と感動に包まれました。≪祈りのうねり≫≪アロンとフルはあなただ!≫祈りの巨大な力を実体験した時でした。4万人、5万人の参加者でした。

<お知らせ>

▷ 猛暑や大雨となかなか気温差のある時となりました。9月に入り、トンボや虫の音は秋を告げてくれています。

▷9月いっぱいは「自宅礼拝」を予定しています。コロナの終息を切に祈り、10/3㈰の教会創立72周年記念聖餐式礼拝より、喜びの再開をと願っています。ご加祷下さい。

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