7月早くも最終礼拝でした。2021.7/25(日)

≪今週のみ言葉≫

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」  ヨハネの福音書11章25節

説教題:『いのちであるイエス様』  聖 書:ヨハネの福音書11章17~27節

‘GREAT I  AM’シリーズその3です。‘I am the resurrection,and the life;’

いのちなる神の宣言です。

Ⅰ、ラザロの復活(39-44)「ラザロの病気」(2,3)について、イエスは言われました、「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」と。「ラザロの死」(13~17)については次のように言われました。「ラザロは死にました。あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。」(14,15)と。人にとっての『絶望』を、主は『希望』に転じて下さるお方です。「ラザロは墓の中に入れられて、すでに四日たっていた。」(17)しらせを聞かれて主はなおも二日、とどまっておられたゆえ、墓に到着された時には、ラザロの死がもはや人々にとっては動かしようのない事実であることを示す「四日」という日数になっていたのでした。しかし主は、「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」(11)と言われたのでした。絶望の中にも主への信仰を表明するマルタ(22、24、27)にいのちなる神の宣言が語られます。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。(25)墓の前で主は言われました、「その石を取りのけなさい。」「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」と言うマルタに、「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」と。石がとりのけられると主は父に祈られ(41、42)、大声で叫ばれました。「ラザロよ。出て来なさい。」「すると、死んだ人が、手と足を長い布で巻かれたまま出てきた。」(44)のでした!!ラザロの復活でした。

Ⅱ、イエスと信じる者の復活(25,26) イエスの3年半の公生涯の中で、3名の人々のよみがえりがありました。会堂司ヤイロの娘(マルコ5・36~43)、ナインのやもめのひとり息子(ルカ7、11~15)、そしてこのラザロです。この人々のよみがえりはまた、イエスご自身のよみがえりの大いなる前味でした。しかし、これらの3人の人々はいずれまた墓に葬られ、終わりの日の復活を待ちました。しかし、『イエスの復活』はちがいました。「わたしはよみがえりです。いのちです。」(25)との宣言は、まさに、イエスご自身が、そのものであり、また実にいのちの与え主であることの宣言だったのです。朽ちない永遠の復活体へのよみがえりでした。そして、「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことはありません。あなたはこのことを信じますか。」と言われます。イエスこそ、神の子キリストであり『絶望』を『希望』に変え、『不可能』を『可能』にして下さるお方と信じます!

<お知らせ>

▷今週末には、「今月のメッセ―ジ」 「今月のお祈り」「ヘッダー(ブラックベリー)」が更新されます。

▷学校は「夏休み」に入りましたので「かえるクラブ」も休みますが、日曜日の教会学校に集う

 子どもたちが与えられるようにお祈り下さい。

▷オリンピックが開催されています。神の守りを祈ります。

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