キリスト昇天を記念し、聖霊降臨を待望して。2020.5/24㈰

≪今週のみ言葉≫ 「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」。使徒行伝1章9節

説教題:『昇天の祝福』 

聖 書:使徒行伝1章1~14節 (マルコ16章19節)

「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」。使徒行伝1章9節

「主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた」。 マルコ16章19節

 4/12㈰のイースターから40日目が5/21㈭、キリスト昇天記念日でした。『昇天の祝福』と題して、『キリストの昇天が私たちに与える確信』のメッセージです。 

 Ⅰ、帰るところがある―死を越えた希望  キリストは「昇天」されました。Ascended into heaven. 天に昇って行かれたのでした。復活された栄光のお身体で天に帰られました。「彼らの見ている前で天に上げられ」(9)とあります。弟子たちはちゃんと目撃したのでした。そのお姿の中に、「死を越えた希望があることを示す姿」でした。キリストは墓の中で朽ち果てたお方ではありませんでした。〔死〕たいがいは肉体の死しか考えられませんが、それは全人類の最大の敵とみなされるでしょう。すべてを奪い去るものですから!しかしこのキリスト昇天のお姿にのみ希望が与えられます。

 Ⅱ.再び来られる祝福の大祭司  「それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、天にあげられた」。(ルカ24・50,51) 「天」とはまさに神の祝福のみに満ち満ちたところ、地にあるのろわれたものは何一つない。そしてそこから地に祝福を降して下さる祝福の大祭司として、イエスは神の右に座られ、今も着座しておられるのです。「しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。 そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである」。(ヘブル7・24,25)悩み多い地上にあって救って下さると共に、再び来られて完全に救って下さいます!

<お知らせ>

▷香川は「緊急事態宣言解除」となり、しかし「感染警戒」で、「県外への外出は自粛」という状態です。慎重を要するかと思われます。当教会に関しては本日午後に行われる役員会にて話し合います。

▷次週5/31㈰は「ペンテコステ(聖霊降臨)記念日」です。聖霊に満たされた「主の証人」が、今こそ必要とされています。

▷5月もあと一週間です。6/1㈪までには「今月のメッセージ」「6月のお祈り」「ヘッダー(ミモザ)」が更新されます。

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キリスト昇天記念日を前に。2020.5/17㈰

≪今週のみ言葉≫ 「信じてバプテスマを受ける者は救われる」。マルコによる福音書16章16節

説教題:『福音による救い』 

聖 書:マルコ16章14~18節   

5/14㈭39県に対して緊急事態宣言が解除されました。「とはいえ、加減よく踏み出して頂きたい。宣言の解除は安全宣言ではないのだから・・・」(讀賣新聞「編集手帳」)。私たちの教会のこれからについては5/24㈰の役員会において、教団の意向なども伺いながら判断していきます。  『福音による救い』のタイトルのもとに5/21㈭キリスト昇天記念日を前にしてのメッセージです。マルコは一貫して弟子たちの霊的盲目と人間的弱さを描き続けてきましたが、この最後の所でも弟子たちの不信仰を厳しく指摘しています。(14)イエスが弟子たちの不信仰を責められたという直接的な表現は、他の福音書にはありません。特に16節の「しかし、不信仰な者は罪に定められる」という言葉はこれまでになく迫力があります。10、13、14節の通りです。神の求められるのは、純粋な単純な信仰なのです!

 Ⅰ、福音を信じる者の救い 「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(16)

1.信じる者。「信じる」という言葉はキリスト教の要(かなめ)の言葉であり、「信じる」ということは誰にでも可能ということです。福音、すなわちキリストの十字架と復活の事実が土台であり、私の罪のために死に、私を義とするためによみがえって下さったことを信じる者です。

2.バプテスマを受ける者。滴礼、浸礼、灌礼、形はいろいろですが、古い自分に死に、新しいキリストと一体化された自分にされた者です。

3.救われるのです。永遠の滅びから、永遠の命への救いです。

a. I was saved.(私は救われました)過去の罪の帳消しと新生。

b. I am being saved.(私は救われ続けています)現在進行形です。

c. I shall be saved.(私は完全に救われます)キリスト再臨の日、未来の救いの完成です。

 Ⅱ.福音を信じる者のしるし

 1、主の名で悪霊を追い出す。 2、新しい言葉を語る。 3、へびをつかむ。  4、毒を飲んでも害を受けない。 5、病人に手をおけば、いやされる。  

文字通り、これらのしるしが現実に与えられているのです。 「キリストの十字架と復活」=「福音」の持つ力。そして福音を信じる者に与えられる力の何と偉大なことでしょう。大きなチャレンジです。 ≪もつべきは信仰、保つべきは信仰≫

<お知らせ>

▷教会暦では今週5/21(木)が『キリスト昇天記念日』です。その日から弟子たちはエルサレムの2階座敷(アパルーム)にて10日間のペンテコステ待望祈祷の時を持ちました。私たちも今、このような世界情勢の中で聖霊の著しいお働きを祈り求めましょう。

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本日は「母の日・花の日礼拝」の日です。2020.5/10㈰

説教題:『思いわずらいにさようなら』

  聖書:マタイ6章25~34節

  ≪今週のみ言葉≫ 「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。マタイ6章33節

礼拝堂で、神の家族が共に礼拝できることは、どれほど大いなる恵みでしょう!毎年の「母の日・花の日合同礼拝」を思いつつ、各家庭での礼拝の祝福をお祈り致します。イエス様が「思い煩い」について「山上の説教」で話されました。あるいは「お母さんたち」は日常の中で、家族を思うにつけ、こうした「思い煩い」に一番とらわれやすい存在なのでは?と思ってしまいます。イエス様のお話しに耳を傾けましょう。  

 Ⅰ.それだから、思いわずらうな。

「思い煩う」を、新改訳2017では「心配する」と訳しています。「心配症」です。食べること、飲むこと、着ること、心配すればキリがありません。イエス様は、「空の鳥を見なさい」と指さされます。確かに、天の父が養っておられる。「野の花を!」と!今日は花の日。天の父がこんなにもきれいに着飾って下さっている。天の父は、あなた方の必要を皆ご存じなのだから、思いわずらうのはやめなさい。「だから、あすのことを思いわずらうな」(34)。この聖句をこよなく愛された多くのご婦人の方々が眼に浮かびます。  

 Ⅱ.まず、求めなさい。

本日、今週の聖句です。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(33)これらのもの、つまり、あれこれ心配して手に入れようとするものすべては、実は「添えて与えられる」「おまけとしてもらえる」ものだと言うのです。「いつでも、どこでも、神第一」精神です。(J.H.ジョウエット『日々の霊想』5/3分)

 【証し】小坂忠牧師は、娘さんのやけどの癒しを通して見事に神と出会われ、救われました。ロックシンガーからゴスペルシンガーに変身しました。「ミクタム」の会社経営も「僕たちはクリスチャンになったから」と、神第一で日曜日は礼拝で、仕事をとらなかった。すると、経済的に行き詰まりついに電気も差し押さえに。ある日、家に帰ると我が家だけが暗い。親子3人、ろうそくの灯りで夕食。小さい娘さんは「クリスマスみたい!」と喜んだけれど---。「それでも神様、マタイ6:33を守ります」と夫婦で涙の祈り。神は応えて不思議なように平日の仕事が入ってきたという証しです。 2020.1/31㈮、娘さんAsia(エイジアさん)の次女スカイさんが14才で恐ろしいNUT癌を発症し、7ヵ月の闘病後、笑顔で天に召されたことを、「タンブリン」誌、2020.4月号で知り、涙でした。小坂先生は、次のように綴られます。「自分もステージ4の癌から復活して、改めて生かされていることを感じ、長くはない残された人生を最後まで忠実に生きたい」と。アーメン。

<お知らせ>

▷それぞれに良き記念の「母の日」をお過ごしください。365日、毎日を「母の日」のように過ごせたらなんと幸いでしょう!

▷5/5㈫は国民の祝日「子どもの日・立夏」でした。教会行事で6月第2日曜日は「花の日・子どもの日」とされています。

▷イエス様が言われた大切ないましめに尽きます。第一は「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。第二もこれと同様である。「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」。新型コロナウイルスのできごとは、大切なことに全人類のハートを向けようとされる神のご計画ではないかと思わされ、祈らされているところです。

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イースター・メッセージ③です。2020.5/3(日)

説教題:『燃える心』 、 聖書:マルコ16章12~13節 (ルカ24・13~32)

≪今週のみ言葉≫ 「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、  お互の心が内に燃えたではないか」。ルカ24章32節    

新型コロナウイルス緊急事態宣言が引き延ばしになりそうです。全世界は暗雲に覆われているように見えますが、自然界は陽射しは明るく、花々は咲き、春、まさによみがえりの春爛漫、命に満ち溢れています。「キリストの復活」とは、力強くも希望に満ちた雄大なテーマです。今週も主の復活の出来事の中から、もう一つの不朽の短編ともみられる「エマオの途上」のできごとです。エマオは「温かな井戸」という意味です。とベラカ4/16㈭で学びました。 

Ⅰ.閉ざされた眼・沈んだ心

  エルサレムからエマオのいなかへは詳しいルカの章によると約11Km、歩けば2時間ほどです。二人の弟子が「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいて来て彼らと一緒に歩いて行かれた」のでした。昔も今も論議するのは人、神は無言のうちにも現実にいます。「有って有るお方」です。「しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった」(ルカ24・16)とあります。マルコは、「イエスはちがった姿でご自身をあらわされた」(12)と記しています。「別の姿」(新改訳2017)どのような?ふつうの旅人として?バークレーは「エマオはエルサレムの西ゆえ、二人は日没にむかっていたから」と記しますが、あたかも象徴的です。彼らの心は沈み、眼は閉ざされていました。一つは「悲しみ」、師を失った悲しみ。二つ目は「失望」、「望みをかけていました」(ルカ24・21)が失望しましたと。三つ目は「不信仰」でした。これらのサングラスで眼はくもり、心は沈んでいたのです。

Ⅱ.開かれた眼・燃える心 

「わたしたちと一緒にお泊まり下さい」(ルカ24・29)‘Abide with me’(新聖歌336 日暮れてやみはせまり・ロンドンオリンピック開会式で演奏された曲)復活の主は不信仰な二人に静かに近づき、割り込むのでなく、彼らが招き入れてくれるのを待たれた。エマオに近づきつつ、二人はイエスの言葉を聞きつつ、次第にこの旅人への思いが変えられていたに違いありません。なぜなら彼らはイエスを食卓の主人の位置に座らせたことが分かります。それは普通の夕食の席でした。しかしそこに座った人がパンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられる内に彼らの眼が開けて、イエスであることが分かったのでした。「復活の事実」が彼らにとっても不動のものとなった瞬間でした。道理で、自分たちの心が共に歩きながら内に燃えたはずだと!み言葉と主の臨在により、「燃える心」で、日没に向かうのでなく、永遠の希望である御国をめざして、日々、主と人々にお仕え致しましょう。

<お知らせ>

▷新しい5月の月を迎えましたが、主の聖餐に共にあずかれず残念です。主の十字架と復活の恵みに感謝をささげましょう。

▷「5月のお祈りの課題」の中には、当教団も加盟している日本福音同盟(Japan Evangelical Association)からの特別祈祷課題を載せております。共に祈りを合わせて下さい。

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イースターメッセージ②をお届けします。2020.4/26(日)

《今週のみ言葉》

「週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた」。マルコ16章9節

説教題:『キリストは生きておられる』 

聖書:マルコ16章9~11節 (ヨハネ20・1~18)

「週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた」。 マルコ16章9節

 復活されたキリストは、まず誰に一番にあらわれたのか!?

Ⅰ.キリストは誰にあらわれなかったのか。

 人間的な気持ちから言えば、十字架を決定したポンテオ・ピラトや、嫉妬でキリストを断罪し、群衆をそそのかした大祭司や長老たちや、嘲り、ののしり、キリストを痛めつけた兵卒たちや、また群衆たちの前に、「どうだ!見たか!」と言わんばかりにキリストがあらわれてもおかしくはないでしょうし、むしろ、人間的な思いからすれば、どんなにか胸のすくような事態に思えるでしょう。しかし、キリストはこれらのどの人の前にもあらわれられませんでした。

Ⅱ.キリストは誰に一番にあらわれたのか

 しかも、「第一番に」復活のキリストにお会いできたのは誰だったのか!?「まずマグダラのマリヤ」とあります。聖句に続いてマルコは記します。「イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある」と。マグダラのマリヤにとっては、キリストは命の恩人であり、感謝と愛の対象でした。どこまでもキリストに従いたいと願っていた人であり、終りまで愛を持ってお仕えしたいお方だったのです。ヨハネがこのマリヤの心情をマリヤのセリフで表現しています。「だれかが、わたしの主を取り去りました」(ヨハネ20・13)「わたしがそのかたを引き取ります」(同20・15)。 ペテロとヨハネは空の墓を見て立ち去りましたが、マリヤの主への愛は、彼女をそこにとどめ、ついに第一番に復活の主とお会いできたのでした!<エレミヤ29・11~14、箴言8・17> 今も復活のキリストは生きておられ、愛し、求め尋ねる者に出会って下さいます。今、このような時、キリストにお会いしようではありませんか!?

<お知らせ>

◇自粛・自宅礼拝第2週です。各家庭礼拝の祝福を心よりお祈りします。

◇4月も今週をもって終ります。週末には「今月のメッセージ」「5月のお祈り」「ヘッダー(カーネーション)が更新されます。

◇続いて新型コロナウイルスの終息を祈ります。

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