ゴールデンウイークです。2021.5/2(日)

《今週のみ言葉》

「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」 ルカ5章11節

   説教題:『イエス様の弟子に』

   聖 書:ルカによる福音書5章1~11節

ゴールデンウィーク(Golden Week黄金の一週間)真っ只中の聖日礼拝です。コロナ禍で、いつもの年のそれとは随分異なった者になっているとは思いますが『礼拝』や「聖会」こそがこの日々を黄金に輝かせるものとなります。神を仰ぎイエス・キリストに近づく事こそ私たち一人一人にとってのゴールデンタイム(Golden time黄金の時)なのです。

Ⅰ.大漁(1~7) ここはゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の岸辺でイエス様が弟子たちを招かれる場面です。イエス様は荒れくれた4人の漁師たち、二組の兄弟たち、シモン(ペテロ)とアンデレ、ヤコブとヨハネを招かれました。二艘の小舟のうちの一つ、シモンの船に乗られたイエス様は、陸から少し漕ぎ出してもらい、腰を下ろして、神の言葉を聞こうとして迫っていた群衆に教えられました。話が終わるとシモンに、「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」と言われます。するとシモンが答えました。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」(5)シモンたちはプロの漁師でした。そのプロたちが魚の取れやすい夜間でも不漁だったのですから、日が昇った今、捕れるはずはないと思っていたでしょう。それにイエス様は大工だったではありませんか。と、心のうちに思ったことでした。「しかし」「でも」です。「おことばですので網を下ろしてみましょう」と言い、「そして、その通りにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。」(6)のでした。そして仲間に合図してきてもらい、「魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、両方とも沈みそうになった。」(7)のでした。漁師たちの驚きは大変なものだったでしょう。

Ⅱ.召命(8~11) シモン・ペテロの即座の反応にそのことがよく現わされています。「これを見たシモン・ペテロは、イエスの足元にひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。私は罪深い人間ですから。」(8)ペテロは自分の内心の動きを覚え、罪深い人間と思わず告白せざるを得なかったのでしょう。しかし、憐れみの内に「でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」(5)といい、その通りにした結果があまりに想定外の大漁であったことに対して、イエス様への畏れを覚えたのでした。しかし「おことば通りに」することの大いなる祝福を実体験したのでした。それはペテロだけに限らず、そこにいたアンデレ、ヤコブ、ヨハネにとっても同様の驚きであり、また畏敬でした。イエス様はシモンに「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」(10)と言われ、その主のおことばを受けて「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」(11)のでした。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4・19)イエス・キリストに従う者が人間をとる漁師、すなわち救霊者にして頂けるのです。

<お知らせ>

▷4/25(日)の役員会にて、香川県にコロナ・ウイルスに対する「緊急事態宣言」が出ない限りは、礼拝・祈祷会・役員会・かえるクラブは対策をしつつ、行うことに決まりました。

▷教会学校は大人と合同で昨年7/5(日)から守られてきましたが、できたら、短くとも子どもたちの信仰の養いのために「教会学校再開」をと、本日、CS教師会を開いて相談いたします。

▷5/5(水・祝)の祈祷会は、第86回オンライン塩屋聖会に合流いたします。午前10時半~と、午後2時半~です。まさに霊の恵みのGolden Weekとなりますように期待いたします。午前の講師は、小菅剛師、午後の宣教大会講師は鎌野直人校長です。祈って、ご視聴下さい。

▷<お知らせ> 「5月のメッセージ」、「5月のお祈り」、「ヘッダー(とげのないバラ・もっこうバラ)」が更新されています。

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4月最終礼拝でした。2021.4/25(日)

《今週のみ言葉》

「人はパンだけで生きるのではない」と書いてある。ルカの福音書4章4節

説教題:『みことばで勝利』

聖 書:ルカによる福音書4章1~13節

 ヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けられ、聖霊が鳩のようにイエス様の上に降り、父なる神の御声、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」と聞かれたイエス様は、聖霊に満たされ、御霊によって荒野に導かれて、悪魔の試み(誘惑)を受けられました。これは今後の「霊の戦い」のための大切な<前哨戦>だったのです。

Ⅰ.誘惑者、悪魔(3度の誘惑)  

1.「肉の欲」(ヨハネの手紙第一2・16)40日に亘る断食によって、空腹になられた主に、悪魔は、「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」といいました。ルカ3・22、先週の父からの御声、「あなたはわたしの愛する子。」とのみ言葉を逆手に取って近づきました。 

2.「目の欲」(同上)。イエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、言いました。「もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる」と。この「ひれ伏すなら」とは、「たった一度でいいから」との意味合いがあります。 3.「暮らし向きの自慢」(同上)。次に悪魔はイエスをエルサレム神殿の屋根の端に立たせて言いました。実に、ここで悪魔も「み言葉」を引き合いに出すのです。詩篇91・11~12で、神の守りを語ります。悪魔もみ言葉に通じているのです。これらの誘惑は、初めの女、エバへの誘いと同じでした。エバは禁じられていた木の実を見るに「食べるのに良さそうで(肉の欲)、目に慕わしく(目の欲)、賢くしてくれそうで好ましかった(暮らし向きの自慢)」(創世記3・6)ので、取って食べ、また夫アダムにも与え、彼も食べたのでした。

Ⅱ.勝利者、イエス(3度の勝利) 1.申命記8・3「人はパンだけで生きるのではなく、人は主のみ口から出るすべてのことばで生きる」によって勝利。(ルカ4・4)。 2.申命記6・13「あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。」によって勝利。(ルカ4・8)。 3.申命記6・16「あなたがたの神である主を試みてはならない」によって勝利。(ルカ4・12)。「悪魔はあらゆる試みを終えると、しばらくの間イエスから離れた。」(13)「しばらくの間」とは、脚注によると「時が来るまで」です。何の時でしょう。それは「十字架」の時でした。そこでも誘惑者は犯罪人たちの口を通して誘いました。「お前はキリストではないか。自分とおれたちを救え」(ルカ23・39)。しかしイエスは最後まで誘いに乗らず、父のみ旨(み言葉の預言)一筋に従い抜かれました。まさに「完全勝利」でした。 「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。」(ヨハネの手紙第一2章16節)≪勝利の鍵は、神のみ言葉≫です。ですから、神の子、イエスに倣って、私たちも聖書(みことば)を読み、心にとどめ、暗唱し、実行して勝利の日々を過ごしましょう。

<お知らせ>

▷ <心も満腹「弁当の日」20年>という本当に心暖まる嬉しい記事が、4/23(金)の讀賣新聞に載っていました。綾川町にある滝宮小学校の校長だった竹下和男さん(72)が2001年に発案したことでした。今や全国2000校へ拡がり、映画化され、4月から上映されています。「子どもが献立考え『調理学校に持参」して食べることにより、給食を完食する子が増え、食事を作ってくれる人への感謝の気持ちがあふれ、クラスメートとの会話も増え、家族の絆も深まり」と、コロナ禍中のすばらしいオアシスニュースでした!上映申し込みは映画の公式サイト(https://bento-day.com/)からとのことです。

▷ 「藤の花」が美しく咲いています。この花は、春と夏の境の花だそうで、いよいよコロナ禍2年目の夏到来です。新学年が始まってもうすぐ1か月、ゴールデンウイークを前に、さらにコロナの終息をお祈りします。

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自然界はよみがえりの春です。2021.4/18(日)

《今週のみことば》

「あなたはわたしの愛する子.わたしはあなたを喜ぶ」 ルカの福音書3章22節

今週から3回に亘ってカリキュラムは「キリストの宣教」となります。「宣教の初め」といってもいいでしょう。4月に入り、新年度を迎えました。進級したお友達、さらには次の学校へ入学したお友達にとってはまさに新しいスタートです。今日は「イエス・キリストの受洗」また「信じる私たちの受洗」についてです。信仰生活への大切なスタート地点のお話しです。

Ⅰ.イエス・キリストのバプテスマ(受洗)(ルカ3・21,22)(マタイ3・13~17)

30歳になるまで両親に仕えられたイエスが、いよいよ公生涯・宣教活動に立つ時を迎え、まずはそのスタートとして「バプテスマを受けられた」(21)のでした。授けた人はバプテスマのヨハネでした。彼は「悔い改めのバプテスマを水で授けて」(マタイ3・11)いました。しかし、全く罪のないイエス様にとっては洗礼を受ける必要はありませんでした。しかもヨハネからしたら「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか」(マタイ3・14)と驚きでした。しかしイエスは、「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」(マタイ3・15)と言われ、ヨハネは言われた通りにしました。<それはご自身が罪人の立場に降りられ、すべての人の罪を身代わりとなって背負われることを示すことであったと解することができる。>(「牧羊者Ⅰ」P.30)洗礼を授けられたイエスが水から上がられて、「祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。」(22)のでした。「すると、天から声がした。『あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。』」(22)何と麗しい光景だったことでしょう!この「天からの声」もちろん愛し寄り頼む父なる神の御声は、イエスにとって大きな力でした。

Ⅱ.私たちのバプテスマ(ローマ6・3~6、コリント人への手紙第二5・17)

罪を持って生まれた私たちにとっては、バプテスマのヨハネの洗礼、「悔い改めのバプテスマを水で授けて」頂く必要があります。そして「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」(ルカ3・8)必要があります。私たちを悔い改めと洗礼に導くものは何でしょうか?それは『父なる神の愛、子なるキリストの愛』なのです。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネ15・9)とイエスは言われました。≪わたしの愛=キリストの愛≫とは?「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15・13)とイエスは語られました。≪最大・最深の愛≫です。更には「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヘブル13・5)と言われる≪永遠の愛≫です。≪ギリシャ語の本来の意味を伝えることは殆ど不可能です。次のように翻訳することにします。「わたしは決して、決して、決してあなたを離れず、そして、決して、決して、決してあなたを捨てない」(ヘブル13・5)と。≫(C.H.スポルジョン『いこいの水のほとりにて』P.453,321日目より) バプテスマを受けてこのような父なる神、子なる神との愛の交わりの内に生かされ続ける幸いが備えられているのです。

〈お知らせ〉 

▷4/15(木)から新年度の「かえるクラブ」を再開しました。入学・進級という節目を迎えた子どもたちの新しい一年の祝福をお祈りします。

▷香川のコロナ感染者数も1000名を超えましたが、そのような中も神様の守りと憐れみの中で、大人子ども合同一時間の礼拝、祈祷会、役員会かえるクラブが行えています。感謝です。さらにはキリストの救いにあずかり、バプテスマにあずかり、バプテスマにあずかる方々が多数起こされますにとも祈っていますご加祷下さい。

        

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召天者合同記念礼拝でした。2021.4/11(日)

《今週のみ言葉》

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイの福音書28章20節

先週4/4(日)は、神のひとり子、救い主イエス・キリストが、私たちに代わって十字架にかかって罪と呪いを負って刑罰を受けて下さり、その日から三日目に死よりよみがえらせられた記念のイースター(復活祭)礼拝でした。世界中の教会で、イースター礼拝がささげられました。その礼拝に続いて、本日は「召天者合同記念礼拝」です。このキリストを「わたしの救い主」と信じて、地上の信仰生涯を立派に全うされて今や天の父のみもとにあって眠っておられる方々を偲んでの礼拝です。

Ⅰ.復活されたキリスト 実は、キリストの復活は父なる神によるものでした。「しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。(使徒の働き2章24節)とある通りです。そして復活させられたキリストは弟子たちに近づいて言われました。「わたしは天においても地においても、すべての権威が与えられています。」(マタイ28・18)と天地万物の創造主、更に御子キリストを死人の中からよみがえらせられた父なる神の絶大な御力とご愛。この方が御子キリストにすべての権威を与えられたのでした。「天においても地においても」ですから、宇宙全てを包括する権威であり、しかも永遠を貫いて存在する権威なのです。このキリストを信じ、より頼む幸いはいかばかりでしょう!

Ⅱ.キリストの約束 本日の聖句です。キリストの約束は真実です。

1.いつもあなたがたとともにいます。キリストは40日間弟子たちに現れて下さり目撃した人々は500人を超えました。(コリント人への手紙第一15・6)40日目にオリーブ山から天に昇られ姿が見えなくなりました。しかし10日後キリストの霊と言われる聖霊が、祈り待ち望む120人ばかりの人々に注がれて、聖霊によってキリストはいつも信じる者と共にいて下さる時代となりました。

2.いつまでもあなたがたとともにいます。すなわち「世の終わりまで」(20)です。そして永遠にです。「世の終わり」それはキリスト再臨の時です。死んだ人、それは眠っている人も覚まされて、キリストと同じ朽ちない復活の身体に変えられて、「こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(テサロニケ人への手紙第一4章7節) ハレルヤ!アーメン!

〈お知らせ〉

▷年に一度、「お写真」を飾って、先に天に召された方々との合同礼拝の時を持っていますが、牧師個人としては、毎週の礼拝が天上と地上の合同礼拝という意識でおります。

▷「キリストの復活」「聖徒の復活」を魂で味わい『復活信仰』を堅くして頂く恵の時です。

▷ご遺族で、まだキリストと出会われておられない方々が多く集って下さいました。語られた「福音・復活のメッセージ」が聖霊によって魂にとどめられ、信仰の継承がなされますようお祈りしています。

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2021年のイースター、心よりおめでとうございます! 2021.4/4(日)

≪今週のみ言葉≫

 「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」 マタイ28章6節

     説教題:『キリストはよみがえられた!』

     聖 書:マタイの福音書28章1~10節

「福音」の2本柱と言えば、「十字架と復活」、4本柱と言えば、「死と葬り、復活と顕現」です。キリスト教にだけあるもの、それが「復活の事実」です。

 Ⅰ.絶望の夜明け 絶望的な悲しみの中に、二人のマリアが墓に向かっていきました。それは週の初めの日の明け方でした。3日前の金曜日には、愛するイエス様が、2人の強盗たちと共に十字架につけられ、とうとう息を引き取られたのでした。心が張り裂けるような悲しみを抱いて、彼女たちはイエス様が墓に葬られ、その墓の入り口に大きな石が転がされてふさがれてしまったのを見ました。2人は墓の方を向いて、絶望の内に座っていたのでした。土曜日の日没、安息日が終わって翌朝早く、墓に向かったのでした。それは自分たちには何もできないけれど、せめてイエス様のお体に香料を塗ってさしあげたい」と思ったからでした。しかし、あの大きな石では・・・・。それはまさに絶望の夜明けでした。それでも彼女たちは墓に向かったのでした。

 Ⅱ.希望の夜明け 墓に着いたとたんに想像もつかないことが起こりました!大きな地震が起こったのでした。それは「主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。」(2)とあります。その姿の恐ろしさに、死人を番していた番兵たちが死人のようになったのでした。「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」(6)「前から言っておられたとおり」(16・21,17・23,20・19)。この復活の予告は、今その通り成就したのですと。その予告については、弟子たちも女たちも全く理解できてはいませんでした。主が言われること(聖書のみことば)は必ずその通りになるのです。「よみがえられたのです。」直訳は「よみがえらされた」(受動態)、つまり父なる神が御子をよみがえらされたのでした。≪神のみわざ≫だったのです。「急いで行って弟子たちに伝えなさい。」(7)御使いのメッセージに恐れつつも、大いに喜んで、急いで走って行く二人のマリアに、復活されたイエス様が現われて言われました。「おはよう」と!このギリシャ語は「カイレテ!」(喜びなさい!喜びがあるように。)です。「彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。」(9)のでした。復活のキリストを最初に目撃したのはこの女性たちでした。当時卑しめられていた婦人たちでした。こここそ、マタイの福音書のクライマックスとも言えます。絶望の夜明けは、一気に希望と歓喜の夜明けに変わったのでした!ハレルヤ!イースターおめでとうございます!

<お知らせ>

▷コロナ渦中も、≪復活された主は生きておられます!≫大きな、変わらない喜びと希望です!

▷新年度、心新たに主を仰いで、期待してスタートでき本当に感謝です!勿論、コロナ対策は怠ってはなりません!

▷次週4/11(日)は「召天者合同記念礼拝」「墓前礼拝・納骨」です。天候が守られ、意義深い一日となりますよう、お祈り下さい。

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