収穫の秋を神様に大感謝! 2020.11/22(日)

≪今週のみ言葉≫

「食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです。」使徒の働き14章17節

 説教題:『収穫を神に感謝』  聖 書:使徒の働き14章8~18節

 ジャガイモ、サツマイモ、なす、ピーマン、ししとう、ゴーヤ、きゅうり、トマト、カボチャ、里芋、米、もち米、山芋、インゲン、梅干し、らっきょう、ほうれん草、小松菜、シイタケ、サラダ菜、ねぎ、大豆、大根、かぶ、栗、ゆず、柿、みかん、ぶどう、フェイジョア、ぽぽ―、この秋15名(15軒)の方々から牧師館に届けられた野菜、果物のリストです。まるでマラキ3・10の如くで、「あふれるばかりの祝福」に圧倒され、収穫の主に感謝あるのみです!

 Ⅰ.創造主、収穫の主を伝えた人たち(本日のテキスト)

 ここはパウロの第一次伝道旅行中の出来事です。福音を伝えては迫害を受け、ついにリステラという所に来ました。そこには生まれつき足の不自由な人が座っていました。彼はこれまで一度も歩いたことが無かったのです。この人がパウロの話すことにじっと耳を傾けていました。パウロもまた彼をじっと見つめ、「癒されるにふさわしい信仰があるのを見て、大声で、『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と言った。すると彼は跳び上がり、歩き出しました」のでした。(9.10)。群衆はそのことがパウロの力によるものと誤解し、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった」と大声で叫び、バルナバをギリシャ神話のゼウスと呼び、パウロをヘルメスと呼んで、神殿の祭司は雄牛数頭と花輪を持って来て彼らの前にいけにえを献げようとしました。二人は自分たちも同じ人間であること、そしてこのような空しい偶像から離れて真の創造主に立ち返るように福音を伝えていることを叫んだのです。この創造主は、「天から雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられる」のですと、収穫の主を大胆に語り伝えました。こうして二人は人々が自分たちにいけにえを献げるのを、かろうじて、やっとのことでやめさせたのでした。

 Ⅱ.収穫の主に感謝礼拝をささげた人たち(「収穫感謝祭」の由来)

1620年9月6日、102名の清教徒(ピューリタン)たち、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれた方々が、信仰上の迫害を受け、メイ・フラワー号に乗船してイギリスからオランダに渡りましたが、そこでも迫害され、アメリカに向かい、12月にプリマスに上陸しました。彼らはまず教会を建て、更に自分たちの家を建てたものの、その冬の厳しさは格別で、十分な食料もなく約半数の人たちが飢えと寒さで凍え死んでしまいました!何という過酷な試練だったことでしょう!アメリカインディアンの方々にトウモロコシの作り方や種まき、刈入れについて教えてもらい、翌年には大収穫が与えられたのでした。彼らは喜びに満たされ、90名ばかりのインディアンの方々をお招きして、そこで『大収穫感謝祭』が行われたのでした。1864年、リンカーン大統領は、11月第4木曜日を国定祭日と定め、日本の教会では、11月第4聖日に感謝礼拝となりました。「この地が続くかぎり、種まきと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」(創世記8・22)ノアへの約束は今も破られることなく、偉大な収穫の主の御業は静かになされ続けています。感謝!

<お知らせ>

▷先週はとてもポカポカ温かい晩秋となりました!しかしコロナ拡大の勢いは増しています。くれぐれも自粛と対策につとめましょう!

▷次週、11/29(日)は早くもⅠアドベント礼拝です。恒例のイルミネーションを取り付け、その日の17:00から20分ほどの「点灯式礼拝」をささげます。「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」ヨハネの福音書1章9節。 暗い世にあって「光なるキリスト」を仰いで、永遠の滅びから救われ、永遠の命を与えられ、永遠の神の御国で過ごす人々が、次々と与えられますよう 祈りをこめてすごしましょう。2021年1月17日(日)にとりはずします。

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11/7(土・立冬)、暦の上では冬に入りました。 2020.11/15(日)

≪今週のみ言葉≫

「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」マルコ10章52節

説教題:『何をしてほしいのか』  聖 書:マルコ10章46~52節

先週の礼拝後は、お向かいの亀田家の柿の収穫をさせて頂き本当に感謝でした!人間界は新型コロナウイルスの第三波で大変な状況ですが、自然界は神の恵みによる実りの秋です。さて今日は「霊界」の話となります。

 Ⅰ.見えていなかった弟子たち(10・35~41 先週のテキスト)

 実は今日見る「バルティマイの癒し」は、単に癒しの奇跡が中心なのではなく、いかにしてこのバルティマイがイエスの弟子になったかが主要点なのです。癒しの記事の中で、このバルティマイの名だけが記されていることからもそのことがわかります。12弟子は勿論肉眼は見えていました。しかし「霊の眼」は残念ながら「見えていなかった」のでした。「何をしてほしいのですか」(36)とイエスに言われて、ヤコブとヨハネは、主が栄光をお受けになる時、右と左に座らせて下さいと、まことに並外れた自分たちへの栄光の願いしか出て来ませんでした。

 Ⅱ.見えていたバルティマイ(10・47~52 本日のテキスト)

 バルティマイは目の見えない物乞いでした。エリコを出たところ「道端にすわっていた」(46)のでした。彼は多くの群集の動きを察し、そこにナザレのイエスがおられると聞いて、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんで下さい」と叫び始めた(47)のでした。人々が「ナザレのイエス」と呼んでいた方を、バルティマイは「ダビデの子」と呼びました。それはメシヤ(救い主)の称号でした。「私をあわれんでください」との叫びも霊の眼の啓かれたバルティマイの信仰のあらわれでした。値なき、欠けだらけの者をも一方的なメシヤのあわれみによって救われるとの信仰でした。彼はイエスこそ約束のメシヤだと確信していたのでした。ですから人々が彼を黙らせようとしましたが、彼はひるむことなく、ますます激しく叫んだのでした。『この激しい叫びを生んだのは、おそらく、目の見えない人生へのバルティマイの絶望である。しかし、その絶望がイエスの切なる信仰への戸口となった。』(「牧羊者」P.55) 彼の叫びを聞いてイエスは立ち止まって、「あの人を呼んできなさい」と言われました(49)。この49節の中に、3回も「呼ぶ」と言う言葉があります。まさにマルコ1章での、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの召命の場面を想起させるものです。呼ばれたバルティマイは、上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来ました。「わたしに何をしてほしいのですか」「先生、目が見えるようにしてください。」(51)「先生」とは「ラボ二」で、しばしばこの呼びかけは、神への祈りの呼びかけとして用いられます。バルティマイの信仰は、不可能事を可能にされる神の力(10・27)への完全な信頼、その望みをはっきりと誠実に言い表しました。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました」(52)との宣言により、彼は肉眼も見えるようになり、「道を進むイエスについて行った」(52)、すなわち、正真正銘、主の弟子として、同行していったのでした。今日私たちの祈り願いも、主の弟子として「霊の眼が見えるようにしてください」ではないでしょうか?

<お知らせ>

▷昨日11/14(土)10:00~13:00 いのちのことば社「ゴスペルボックス21号車」が当教会に来てくださいました。沖縄那覇書店の店長、中村信義̪氏が大阪から引き継いで来られました。外からは大人4名、子ども3名の計7名、内からは大人10名、子ども6名の計16名、合計23名が来店、読書の秋にふさわしくそれぞれよいお買い物をされ、本当に感謝でした!おいしいおやつと交わりも感謝でした!来年はイースター前の3月に来られます。

▷11/21(土)と28(土)とで、今年もイルミネーション取り付け準備をし、Ⅰアドベントの11/29(日)17:00~17:30「クリスマス点灯式礼拝」を行います。Withコロナの中も対応しつつ、共に恵みのアドベント、クリスマスをお迎えしましょう!!

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読書の秋―読む人は育つ人 2020.11/8(日)

≪今週のみ言葉≫

説教題:『仕える祝福』  聖 書:マルコ10章35~45節

   「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるために来たのです。」 マルコ10章45節

 新型コロナウイルスが世界中に拡大し、なお不透明な中にあります。そして今、米大統領選挙も世界中から注目の的です。様々に考えさせられます。今日のイエス様と弟子たちのコントラスト(対照)にも通じるものがあるように思えてなりません。ペテロが「あなたはキリストです」(マルコ8・30)との重大な告白をした後第一回目の受難の予告をされました(同31)。第二回目は9・31、そして今日の記事の直前10・33,34が第3回目の受難予告です。弟子たちの誰一人そのことを理解している者はいませんでした。

 Ⅰ.弟子たちの願い(35~41) 「ゼベダイの息子たち、ヤコブとヨハネがイエスのところに来て言った」(35)とあります。マタイ20・20ではわざわざ母親が同伴していたことがわかります。彼らの願いとは「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください」(37)との願いでした。右は王座の次席、権威の第二位。左は第三位です。イエスは言われました。「あなたがたは、自分が何を求めているのかわかっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」と。彼らは「できます」と悟りなく答えましたが、イエス様は「確かに」(39)とおっしゃって、ヤコブは12弟子の中で一番に殉教すること(使徒12・1)、ヨハネは晩年パトモス島に流される(黙示1・9)ことを知っておられたので、そう言われました。しかし、左右に誰が座るかは私が許すことではありませんと。「ほかの十人はこれを聞いて、ヤコブとヨハネに腹を立て始めた」(41)とあり、12人が12人とも自己本位であったことが暴かれます。

 Ⅱ.イエスの願い(42~45) 弟子たちは実に世の価値観の中にどっぷりつかっている存在だったということです(42)。しかし、神の国の価値観は、全くこの世のそれとは逆であるのです。「偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者に」「(43)、「先頭に立ちたいと思う者は、皆のしんがりになりなさい」(44)とイエスは言われ、ご自分が世につかわされた有様とその使命を語られます。「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるために来たのです。」(45)ヨハネは、十字架にかけられる前夜のしもべとしてのイエスを記しました(ヨハネ13・1~15)「洗足の主」です。パウロは、イエスの徹底した謙遜と従順のお姿を記しました。(ピリピ2・6~8)。そして教会にしたためた手紙には、「キリスト・イエスのしもべ」(ローマ1・1、ピリピ1・1)。また「キリスト・イエスの囚人パウロ」(ピレモン1)と自らを証ししました。お互いも贖われた主の「しもべ」として、神と教会と人々に仕える幸いな地上の生涯とされましょう。

<お知らせ>

▷11/14㈯10:00~13:00 いのちのことば社ゴスペル・ボックスが当教会に来られて販売して下さいます。どなたもお越し下さい。歓迎です。

▷教会図書の貸し出しもしています。教会員だけでなく、地域の方々にもオープンです。毎月第①と第③日曜日の13:00~15:00、一回に5冊、期間は1ヵ月間です。キリスト教に興味をお持ちの方、ご遠慮なくご活用下さい! 三浦綾子氏の本も揃っています。

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2020年もあと2カ月となりました。 2020.11/1(日)

≪今週のみ言葉≫

「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」 マルコ10章15節

 説教題:『子供を祝福する神』  聖 書:マルコ10章13~16節

 今年は例年のような「子ども祝福礼拝とカーニバル」はできませんが、11/29㈰第一アドベント礼拝にて「アドベント・プレゼントと祝福のお祈り」の時を持つことにしています。今日の聖書の箇所は、子どもを愛し、祝福されるイエス様が、「大人に対して、神の国に入るためになくてならない態度を教えるためのもの」です。(『牧羊者』p.43)

Ⅰ.弟子たちと子どもたち<13> イエス様の最終のご奉仕の場であるユダヤ宣教に入れられた時のことでした。「イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た」(13)のでした。当時、子どもの死亡率が高く、ユダヤでは16才までに10人のうち6人が死ぬという状況だったようです。律法学者や長老たちに祈ってもらうこともよくしていたようです。子どもたちを連れて来た人々とは、きっとお母さん方だったのでしょう。イエス様の人気も知った上で、イエス様のところに喜んで連れて来たに違いありません。「ところが弟子たちは彼らを叱った」(13)のでした!口語訳では「たしなめた」とあります。「イエス様はねぇ、お忙しいお働きで疲れておられるのだから」と、怒りの感情を持って非難したのでした。イエス様への配慮もあったとはいえ、弟子たちにとって子どもたちの存在は重要ではなかったと言えます。実は、その事はイエス様を憤らせました。9章37節にはイエス様は、子どもたちが神の国において特別な存在だとすでに教えておられました。

Ⅱ.イエス様と子どもたち<14~16> 「子どもたちを、私のところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに入ることはできません。」(14,15)とイエス様は言われて、「子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」(16)のでした。「イエスに触れていただこうと」(13)ということは、マタイ19・13では「イエスに手を置いて祈っていただくために」と記されています。人々の祈り、願い通りにイエス様はして下さいました。すなわち、「腕の中に抱き」、そしてそれは「永遠の腕」(申命記33・27)であり、牧者がその腕に小羊を抱き携え行き導かれるように祝福をして下さったのでした。「まことにあなたがたに言います。」(15)<イエスは十字架にかかることにより、救いのわざを完成させる時が近づいていることを意識され、厳粛に、神の国に入るのはどのような者であるかを語られた>(『牧羊者』p.44) ≪子どものように≫とは、childish(子どもじみた、幼稚な)ではなく、childlikeであって、自分は無きに等しい者、誇るものは何もない、ゆえに素直に単純に絶対的に神に信頼するものとの意味です。私たちも神の国を受け入れ、必ずや入れて頂く、子どものような信仰者でありましょう。

<お知らせ>

▷ 昨日10/31(土)は、宗教改革503周年記念日でした。「正しい人はその信仰によって生きる。」(ハバクク2章4節)

▷「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(スイートコーン)」が更新されています。お祈りを感謝致します。

▷11月の月も「新しい教会生活スタイルを続行できますことを主に感謝致します。」

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10月最終礼拝でした。2020.10/25(日)

≪今週のみ言葉≫

「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」マルコ9章23節

説教題:信じて祈る力  聖 書:マルコ9章14~29節

10/20㈫、21㈬、22㈭の3日間、第54回教団牧師研修会がZOOM (ズーム)にて行われました。コロナ渦中なかなかお会いできない先生方に、画面を通してですが、また30名ばかりの限られた先生方ですが、お会いできました。時代の機器を用いてできることで一面驚きであり、感謝ですが、改めて霊界の不思議を素晴らしさを思います。神様との交わり(祈り)には何の道具もいらない、いつでもどこでもできる、又キリストが拓(ひら)いて下さった恵みのみ座にてとりなし、祈り、人々とも交われることは何という恵みの世界でしょうか!本日の箇所は、私たちの信仰と祈りへのチャレンジ(挑戦)です。

Ⅰ、イエスと弟子たち<不信仰>(14~19) 「山上の栄光と山麓の悲惨」と言われるところです。変貌山で神の子の栄光を現されたイエスとそれを目撃したペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子たちが、山を降って他の弟子たちの所に戻ると、大勢の群集がその弟子たちを囲み、律法学者たちが彼らと論じ合っていました。「何を論じ合っているのか」とのイエス様の問いに対して一人の人が答えました。「先生、口をきけなくする霊につかれた私の息子をあなたのところに連れて来ました」と言って、その霊のなす災いがあまりにひどいので、「それであなたのお弟子たちに霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、出来ませんでした。」(17、18)イエス様は「ああ、不信仰な時代だ、」(19)と大いに嘆かれました。それは特に弟子たちの不信仰を嘆いたものでした。(マタイ17・20)マルコ6・7には「また十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて彼らにも汚れた霊を制する権威をお授けになった。」とありますから、かつては出来ていたことも、この時は出来なくなっていたということです。その原因は不信仰と祈りの欠如にあったのでした。

Ⅱ.イエスと父親<信仰の祈り>(20~23) 「その子を私のところに連れて来なさい。」(19)これこそイエス様からの黄金の招きの言葉であり、解決の最大の手段です。<私たちはほかのどんな方法が役に立たなくても、いつもキリストのもとに行くことができるのである>(『牧羊者』P.37)。その子がイエス様のもとに連れて来られると霊はイエス様を見てすぐに彼にひきつけを起こさせたので、彼は地面に倒れ泡を吹きながら転げ回りました。イエス様は、「いつからこうなのか?」と父親に尋ねると、「幼い時からです。」と答え、「おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください」(22)とお願いしたのでした。するとイエスさまはすぐに「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(23)と言われました。<解決の鍵は信じることができるかどうかにある。この素早い切り返しは父親に信仰のチャレンジを与えた>(『牧羊者』P.38)するとすぐに父親は叫んで言いました。「信じます。不信仰な私をお助け下さい」。(24)彼は、不信仰な自らを認め、神に絶対の信頼を置く信仰へと引き上げられたのでした。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出ていけ。二度とこの子に入るな」(25)とのイエス様の命令により、霊は叫び声をあげ、出ていきました。ひきつけさせられて死んだようになったその子の手をイエス様が取って起こされると、その子は立ち上がりました。今日、私の信仰は、私の祈りは、神への全き信頼と渇きは、救霊への熱情はいかがでしょう?

<お知らせ>

▷10月最終聖日でした。10月の月も「新しい教会生活スタイル」で共に集っての礼拝をおささげできましたことを、主と、祈って下さった方々に心より感謝いたします。

▷早くも次聖日から11月に入ります。「今月のメッセージ」「11月のお祈り」「ヘッダー(スイートコーン)」が更新されます。

▷よい実りの秋をすごせますように。魂の収穫のためにもお祈り頂ければ感謝です。

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