召天者合同記念礼拝でした。2021.4/11(日)

《今週のみ言葉》

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイの福音書28章20節

先週4/4(日)は、神のひとり子、救い主イエス・キリストが、私たちに代わって十字架にかかって罪と呪いを負って刑罰を受けて下さり、その日から三日目に死よりよみがえらせられた記念のイースター(復活祭)礼拝でした。世界中の教会で、イースター礼拝がささげられました。その礼拝に続いて、本日は「召天者合同記念礼拝」です。このキリストを「わたしの救い主」と信じて、地上の信仰生涯を立派に全うされて今や天の父のみもとにあって眠っておられる方々を偲んでの礼拝です。

Ⅰ.復活されたキリスト 実は、キリストの復活は父なる神によるものでした。「しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。(使徒の働き2章24節)とある通りです。そして復活させられたキリストは弟子たちに近づいて言われました。「わたしは天においても地においても、すべての権威が与えられています。」(マタイ28・18)と天地万物の創造主、更に御子キリストを死人の中からよみがえらせられた父なる神の絶大な御力とご愛。この方が御子キリストにすべての権威を与えられたのでした。「天においても地においても」ですから、宇宙全てを包括する権威であり、しかも永遠を貫いて存在する権威なのです。このキリストを信じ、より頼む幸いはいかばかりでしょう!

Ⅱ.キリストの約束 本日の聖句です。キリストの約束は真実です。

  1. いつもあなたがたとともにいます。キリストは40日間弟子たちに現れて下さり目撃した人々は500人を超えました。(コリント人への手紙第一15・6)40日目にオリーブ山から天に昇られ姿が見えなくなりました。しかし10日後キリストの霊と言われる聖霊が、祈り待ち望む120人ばかりの人々に注がれて、聖霊によってキリストはいつも信じる者と共にいて下さる時代となりました。

2.いつまでもあなたがたとともにいます。すなわち「世の終わりまで」(20)です。そして永遠にです。「世の終わり」それはキリスト再臨の時です。死んだ人、それは眠っている人も覚まされて、キリストと同じ朽ちない復活の身体に変えられて、「こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(テサロニケ人への手紙第一4章7節) ハレルヤ!アーメン!

〈お知らせ〉

▷年に一度、「お写真」を飾って、先に天に召された方々との合同礼拝の時を持っていますが、牧師個人としては、毎週の礼拝が天上と地上の合同礼拝という意識でおります。

▷「キリストの復活」「聖徒の復活」を魂で味わい『復活信仰』を堅くして頂く恵の時です。

▷ご遺族で、まだキリストと出会われておられない方々が多く集って下さいました。語られた「福音・復活のメッセージ」が聖霊によって魂にとどめられ、信仰の継承がなされますようお祈りしています。

Posted in 今週のお知らせ | 召天者合同記念礼拝でした。2021.4/11(日) はコメントを受け付けていません

2021年のイースター、心よりおめでとうございます! 2021.4/4(日)

≪今週のみ言葉≫

 「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」 マタイ28章6節

     説教題:『キリストはよみがえられた!』

     聖 書:マタイの福音書28章1~10節

「福音」の2本柱と言えば、「十字架と復活」、4本柱と言えば、「死と葬り、復活と顕現」です。キリスト教にだけあるもの、それが「復活の事実」です。

 Ⅰ.絶望の夜明け 絶望的な悲しみの中に、二人のマリアが墓に向かっていきました。それは週の初めの日の明け方でした。3日前の金曜日には、愛するイエス様が、2人の強盗たちと共に十字架につけられ、とうとう息を引き取られたのでした。心が張り裂けるような悲しみを抱いて、彼女たちはイエス様が墓に葬られ、その墓の入り口に大きな石が転がされてふさがれてしまったのを見ました。2人は墓の方を向いて、絶望の内に座っていたのでした。土曜日の日没、安息日が終わって翌朝早く、墓に向かったのでした。それは自分たちには何もできないけれど、せめてイエス様のお体に香料を塗ってさしあげたい」と思ったからでした。しかし、あの大きな石では・・・・。それはまさに絶望の夜明けでした。それでも彼女たちは墓に向かったのでした。

 Ⅱ.希望の夜明け 墓に着いたとたんに想像もつかないことが起こりました!大きな地震が起こったのでした。それは「主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。」(2)とあります。その姿の恐ろしさに、死人を番していた番兵たちが死人のようになったのでした。「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」(6)「前から言っておられたとおり」(16・21,17・23,20・19)。この復活の予告は、今その通り成就したのですと。その予告については、弟子たちも女たちも全く理解できてはいませんでした。主が言われること(聖書のみことば)は必ずその通りになるのです。「よみがえられたのです。」直訳は「よみがえらされた」(受動態)、つまり父なる神が御子をよみがえらされたのでした。≪神のみわざ≫だったのです。「急いで行って弟子たちに伝えなさい。」(7)御使いのメッセージに恐れつつも、大いに喜んで、急いで走って行く二人のマリアに、復活されたイエス様が現われて言われました。「おはよう」と!このギリシャ語は「カイレテ!」(喜びなさい!喜びがあるように。)です。「彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。」(9)のでした。復活のキリストを最初に目撃したのはこの女性たちでした。当時卑しめられていた婦人たちでした。こここそ、マタイの福音書のクライマックスとも言えます。絶望の夜明けは、一気に希望と歓喜の夜明けに変わったのでした!ハレルヤ!イースターおめでとうございます!

<お知らせ>

▷コロナ渦中も、≪復活された主は生きておられます!≫大きな、変わらない喜びと希望です!

▷新年度、心新たに主を仰いで、期待してスタートでき本当に感謝です!勿論、コロナ対策は怠ってはなりません!

▷次週4/11(日)は「召天者合同記念礼拝」「墓前礼拝・納骨」です。天候が守られ、意義深い一日となりますよう、お祈り下さい。

Posted in 今週のお知らせ | 2021年のイースター、心よりおめでとうございます! 2021.4/4(日) はコメントを受け付けていません

受難週礼拝でした。2021.3/28(日)

≪今週のみ言葉≫

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」マタイ27章46節

    説教題:『十字架上のイエス様』

    聖 書:マタイの福音書27章45~56節

本日はパームサンデー・棕櫚の主日礼拝です。人々がエルサレムに入城されるロバの子に乗られたイエス様を、棕櫚の葉を振りながら「ホサナ!ホサナ!」(私たちをお救い下さい。「ああ主よ、どうか救ってください」(詩篇118・25))と叫びながら迎えた日でした。イエス様はまさにその叫びに応えて、その週の金曜日、十字架による贖いを成し遂げて救いの道を開いて下さったのでした。

 Ⅰ.捨てられた神の御子イエス(贖いの確証)

本日のみ言葉は十字架上の七言中の第四言、すなわち真ん中のみ言葉であり、詩篇22篇1節の預言の成就です。「父よ」との呼びかけは、「わが神」と変わりました。「わたしを遣わした方は、わたしとともにおられます。わたしを一人残されることはありません。わたしは、その方が喜ばれることをいつも行うからです。」(ヨハネ8・29)と語られたお方が、「捨てられた」のです。「どうして」とは、わたしには全く身に覚えがありません。捨てられる理由は何もない筈ですとの意味でしょう。ゲッセマネの祈りにて、血のしずくのような汗を落としつつ祈られた「この杯」(ルカ22・42)とは、まさにこのこと、≪父との断絶≫でした。しかし、これなくして、贖いは成らず、人類の救われる道は開かれなかったのでした。ゆえにこのみ言葉は、まさに救い主ご自身の口から発せられた≪贖いの確証≫のみ言葉でした。捨てられる筈のないお方が、捨てられて当然の私たち全人類に代わって父との断絶・地獄を味わって下さったのです。

 Ⅱ.救われる私たち(贖いの恩寵)

永遠の滅び、神からの断絶から救われる唯一の方法が、このイエス・キリストの十字架による代償、身代わりの死を信じることです。これ以外に罪と滅びから救われる方法はどこにもありません。神が備えて下さった唯一の道です。愛する一人子を私たちのために十字架につけられた無限無量の神のアガペーの愛の現れです。信じた時、つまり自分の罪を認め、悔改めて身代わりの十字架を仰いで救い主を信じた時、何が起こるでしょう。まずは「赦罪」罪が赦されるという恵みです。キリストが代わって既にその罪の刑罰を受けて下さったからです。そして神の前に義と認められる「義認」の恵みです。「罪を一度も犯さず、律法破りを一度もしたこともなく、神のみ旨をのみ喜ばせてこられたお方が、罪だらけの、律法破りをしてきた者の成れの果てとなり、神に呪われ、裁かれ、捨てられて下さったことにより、罪だらけの神のみこころを引き裂いてきた私たちが、罪を一度も犯さず、律法を一度も破らず、神の御旨に従い、良いことだけを行ってきた者として受入れられる、これが義認です。この恩寵の真理がわかったとき、一人の兄弟は一睡もできず夜を明かしたとのことです。何と驚くべき恵みでしょうか。」(工藤弘雄師『大いなる救い』p.185-186)

<お知らせ>

▷本日は受難週礼拝(Palm Sunday)そして、4/3(土)までは受難週(Passion Week)、4/1(木)は洗足記念日、4/2(金)は受難日(Good Friday)です。当教会で はいつもの水曜日の祈祷会をこの4/2(金)に振り替えて行います。わたしのための主の十字架を味わいます。

▷そして、次週4/4(日)はイースター(復活祭)礼拝です!キリストは死の力を打ち破ってよみがえられました!ハレルヤ!ハレルヤ!今も生きてすべてを支配、統治されるこのお方を心より礼拝します。子どもたち・学生たちには、入学・進級の祝福のお祈りとプレゼントがあります!

▷今週中に、「今月のメッセージ」「4月のお祈り」「ヘッダー(桜)」が、更新されます。

Posted in 今週のお知らせ | 受難週礼拝でした。2021.3/28(日) はコメントを受け付けていません

3/20㈯は春分の日でした。 2021.3/21(日)

≪今週のみ言葉≫

「そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。」マタイ27章26節

    説教題:『真理に従って生きる』

    聖 書:マタイの福音書27章11~26節

今年の「受難週礼拝」(パームサンデー)は次週3/28㈰です。その週の木曜日が「洗足日」そしてその夜ゲッセマネの園の祈り、それからイエスは捕えられて、翌朝金曜日、総督ピラトの最後の裁判の席に引き出され十字架刑に処せられます。ピラトは紀元26年頃~36年ローマからユダヤ地方統治のために派遣されていました。平常はカイザリヤに居住していましたが、過越しの期間、監視を強めるためにエルサレムに滞在していたようです。

Ⅰ.強い人たちと弱い人

「強い人たち」とは、「祭司長たちと民の長老たち、そして彼らに扇動されたユダヤ人群衆」です。「ピラトは彼らがねたみからイエスを引き渡したことを知っていたのである」(18)とありますように、祭司長たちと民の長老たち、すなわち宗教家たちの妬みが、イエス様をピラトの裁判へと引いてきました。ピラトが「あの人がどんな悪いことをしたのか」(23)と言うほどに、ピラトはイエス様の無罪を確信しました。その上、妻から夢の話を聞いて、何とかイエスを釈放したいと願いました。祭のたびに、群衆の為彼らが望む囚人を一人釈放することにしていました。ピラトとしては、キリストと呼ばれているイエスを、と願っていたことでしょうが、「強い人たち」は、「バラバを」と答えました。「では、キリストと呼ばれているイエスをわたしはどのようにしようか」とピラトが言うと、「十字架につけろ」と言います。その叫びはますます激しくなり、暴動になりそうなのを見て、ピラトは水を取り、手を洗って「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」と保身に走りました。ピラトこそ「弱い人」であったのです。真理、正義を求めることをせず、自分の良心に従うこともできず、人々の顔色をうかがって誤った判断をしました。そして「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と、使徒信条の中で告白され、語り継がれることになってしまいました。「強い人たち」とは、もちろん神から離れ、神に従えない我(が)の強い強情な人たちでありました。

Ⅱ.真理に生きた真に強い人

それが救い主イエス・キリストでした。自分に不利な証言がなされても、自己弁護のことばを発するわけでもない。まさにペテロがその手紙の中に記しているように、「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しく裁かれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。」(ペテロの手紙第一2章22~24節)の通りです。ここではその象徴のようにして、バラバは死刑を免れて釈放されました。お互いは皆バラバなのです。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネの福音書14章6節)

<お知らせ>

▷昨日は春分の日。昼と夜の長さが同じ。これから、明るく暖かく、暑く!なっていきます。コロナの収束を熱く祈ります。

▷3/27㈯には、春休みに入った子どもたちのためのお楽しみ会を五色台セラピーガーデンにて行います。馬に乗ったり、陶芸をしますが、残念ながらおいしいピザはありません。

▷3/28㈰は、パームサンデー(受難週礼拝)です。私のためのイエス様の十字架を深く味わいましょう。

Posted in 今週のお知らせ | 3/20㈯は春分の日でした。 2021.3/21(日) はコメントを受け付けていません

東日本大震災から10年経ちました。 2021.3/14(日)

≪今週のみ言葉≫

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」マタイ25章40節

    説教題:『最も小さい者のために』

    聖 書:マタイの福音書25章31~46節

<人の子が栄光に満ちて来臨される時、すべての人は、イエスの弟子たちと、彼らの伝えた福音をどのように扱ったかに基づいてさばかれる。福音の伝え手であり、また実際にその福音に生きるクリスチャンたちを親切に扱うことは、イエスをそのように扱うことなのである。ここにイエスと弟子たちとの目を見張る固い絆が見いだされる>(『牧羊者』2020.Ⅳ p.77)「羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け」(32)とは、当時一般的に羊とやぎを一緒に飼っていて、季節によっては夜間、寒さに強い羊と弱いやぎとを分ける必要があったというユダヤの日常をあらわし、わかりやすく説明されるイエス様の語り方でした。しかし、この時の分別は誠に厳粛です。

Ⅰ.祝福されたひとたち(34~40) 「それから主は右に入る者たち(羊)に言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。」(34)弟子たちは主を信じた時から前味として味わい始めていた神の国の豊かな恵みを見、ついに完全な形で受ける時が来たのでした。35、36節に彼らがキリストに対して表した愛のわざが列挙されます。しかし、これらの正しい人たちは、記憶にありません。そこで「主よ、いつ」(37~39)、私たちはあなたにそのようにして差し上げましたでしょうか?と尋ねます。それは彼らが救いにあずかり、主イエスの心が与えられ内からの愛と憐れみの心がほとばしり出て、周囲の人々に対してなしたにすぎなかったからでした。「すると、王は彼らに応えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」と。

Ⅱ.のろわれた者ども(41~46) 「それから王は左にいる者たち(やぎ)にも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。」(41)42,43節には、その人たちがキリストに対して行わなかったわざが列挙されます。そこで彼らは当然キリストと出会うこともなく、しなかったと言われても、それはいつのことでしょう?と理解しかねます。「すると、王は彼らに応えます。「まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。」(45)と。「永遠の刑罰」に入るのか、「永遠のいのち」に入るのか_2つにひとつです。<キリストは、ご自身にある弟子たちを、ご自身と同一視なさるほど両者の間に驚くべき深い絆を見ておられる>(『牧羊者』p.78)「ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。」(ガラテヤ6・7~10)

<お知らせ>

▷本日13:00より『プロジェクト希望にむかって』委員会が行われます。新会堂のために主が備えていて下さる良い地に良い会堂が建てられますよう続いてお祈り下さい。

※3/16㈫関西聖書神学校第91回卒業式が新校舎にて行われます。3名の方々が卒業されます。おめでとうございます!

※3/19㈮第71回教団総会が、チサンホテルとZOOMにて行われます。お祈り下さい。

Posted in 今週のお知らせ | 東日本大震災から10年経ちました。 2021.3/14(日) はコメントを受け付けていません