雨の季節、主の守りを祈ります。2019.7/14(日)

≪今週のみ言葉≫

「彼ははいって戸を閉じ、彼らふたりだけ内にいて主に祈った」。列王下4章33節

エリシャの先生であったエリヤは、聖書中、初めて、死人をよみがえらせた人物でした。ザレパテのやめもの子どもでした。(列王上17・22) 今日の聖書ではエリシャもまた、エリヤに次いで、シュネムの女の子どもをよみがえらせたという、驚くべき奇跡が記されています。「戸を閉じ~主に祈った」密室における切なる祈りの力を通して、神がなさって下さった奇跡でした。神は、「肉のいのちを与えられる神」です。人は誰一人自分で生まれてきたのでもなく、自分で生きている者はありません。生かされている存在です。それにしても今日の所は「死人に再び肉体のいのちを与える神」からの大きな挑戦です。神はまた「霊のいのちを与える神です。罪ととがによって全く死んでいる魂をよびさます神です。エリシャがその型であるキリストによって、人は「新しく生まれ変わる」ことができ、清い霊のいのちに生かされます。そしてやがて「朽ちない命・永遠の命」を神のみが与えて下さいます。キリストの復活が初穂であり、信じる者は必ずやそれに続くのです。何という神、何という福音でしょうか!

<お知らせ>

▷西日本豪雨被害から一年過ぎました。なお梅雨の中ですが、被害のありませんようにお祈りいたします。

▷教会では、8/11㈰恒例の、帰省された方々ウエルカムの「そうめん流し昼食」(大学生以上200円で食べ放題)を予定しています。お誘い合わせおこし下さい。10:15からの礼拝から、どうぞ是非ご参加下さい。

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7月第一聖日聖餐式礼拝でした。2019.7/7(日)

《今週のみ言葉》

「いつもわたしたちの所を通るあの人は確かに神の聖なる人です」。列王下4章9節

先生のエリヤは権力や偶像との対決の場で多く見られましたが、弟子のエリシャは人々の間で神の力をあらわす働きが多く見られました。シュネムはカルメル山から50Kmばかり南の最も肥えた豊かな地でした。そこをある日通りがかったエリシャはひとりの「裕福な婦人」から食事をすすめられ、それがきっかけとなってエリシャはそこを通るごとにそこに寄って食事をするようになりました。そしてその婦人は夫に、「いつもわたしたちの所を通るあの人は確かに神の聖なる人です」とあかしをしたのでした。エリシャはもちろん食卓で言葉をもって自分をあかしをしたと思いますが、むしろ婦人はその話を聞いてというより、エリシャの行動を見て、こう感じたのでした。『歩く姿』をまず見て~ふつうの人ではない~『食事』という、人が一番くつろいだ時の姿の折にさえ神の人として自分を現わしていた!エリシャはその行動の中に、その生活の中に、『神の聖なる人」というあかしをしたのでした。内に聖霊によってキリストをお宿しさせて頂いているお互いもそうありたいと渇きが与えられます。

<お知らせ>

▷2019年後半期の歩みが祝福されますようにお祈りいたします。

▷本日は3年ぶりに15:00~の愛媛中央教会の聖餐式礼拝に有志の方々と出席し、ご用してまいります。よい礼拝と交わりの時となりますようにお祈り下さい。

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2019年・前半期を終了しました。2019.6/30(日)

《今週のみ言葉》

「行って、その油を売って負債を払いなさい。あなたと、あなたの子供たちはその残りで暮らすことができます」。列王下4章7節

エリヤの霊の二つの分を受けたエリシャによる『油の奇跡』です。さらに言えば『一びんの油の奇跡』です。主を恐れる敬虔な家族をおそった苦悩でした。未亡人となった婦人とふたりの息子がまさに苦境に立たされて、その妻がエリシャに呼ばわったのでした。「あなたの家にどんな物があるか」と尋ねるエリシャに、「一びんの油のほかは、はしための家に何もありません」との返事でした。それほどにも何もないのですと言わんばかりでした。エリシャは隣人からの器をたくさん借りて、3人で戸の内にとじこもりそのすべての器に油をついで、いっぱいになったら、取りのけておくようにと言い、3人は言われたとおりにしました。次から次と注がれる油!3人の心は驚きで満たされたでしょう!器がなくなった時、油はとまりました。しかし、それで十分に負債を払って、なおも3人はその残りで暮すことができたという!!何という心暖まる神の奇跡でしょうか!主を恐れ主に従う者たちのために、今も神はこのような奇跡をなさって下さいます。

<お知らせ>

▷2019年前半期最終日、主への感謝と礼拝をもって終わることができ、明日からの後半期に信仰と期待をもって踏み出せること、感謝です!

▷猛暑の7月、その暑さをしのぐお互いの信仰でありますように。

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渇きを覚える季節になりました。2019.6/23㈰

<<今週のみ言葉>>

「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。

列王下2章9節

「火をよび下し、雨を降らししエリヤ」(聖歌253番)と歌われた彗星の如き預言者エリヤを師と仰いだ弟子のエリシャが、後継者とされていった場面です。主がエリヤをつむじ風をもって天に上らせようとされた時、エリシャはどこまでもエリヤについて行きました。ベテルに、エリコに、ヨルダンに。エリヤからも、預言者のともがらからも「ここにとどまっていなさい」としきりに言われながらもエリシャはエリヤを離れませんでした。それはエリシャの内に『欠乏を覚えての霊の渇き』があったからでした。エリヤが外套を巻いてヨルダン川を打つと水が左右に分かれ二人はヨルダンを渡りました。そしてエリヤが、エリシャに「あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」と言ったので、エリシャはこのみ言葉を言いました。「あなたは難しい事を求める。もしわたしがあなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう」と言われ、エリシャは、火の車と火の馬に迎えられつむじ風に乗って天にのぼるエリヤをしかと見とどけました。エリシャがエリヤの外套を取って水を打ち「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言って水を打つと水が左右に分かれエリシャは渡りました。預言者たちは「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と認めたのでした。新約時代の今、お互いは「キリストの霊」の後継者として、ペンテコステを通って神からつかわされているのです。聖霊の満たしに渇いて、満たされて用いられましょう。

<お知らせ>

▷今年も早くも上半期が次週の聖日をもって終わろうとしています。主の守りと恵みを深く覚え感謝をささげたいものです。

▷6/30㈰~7/1(月)にかけて「今月のメッセージ」「7月のお祈り」ヘッダー(びわ)が更新されます。

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父の日礼拝・ファミリー・チャペルコンサートでした。2019.6/16(日)

≪今週のみ言葉≫

それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。 創世記22章14節

6月第三日曜日、「父の日」です。アメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド夫人が自分を含め、6人の子どもたちを母の亡きあと、男手一つで育ててくれた父、ウィリアム・ジャクソン・スマートに感謝して1910年6月19日、最初の祝典が行われたのが「父の日」の由来です。アメリカで正式に祝日となったのは1972年のことであり、日本で一般的な行事となったのは、1980年代でした。「母の日」と共に「父の日」のあることはまことに美しいことです。聖書の中の父親像では、「信仰の父アブラハム」が登場します。ドイツの神学者クラッパートという方は、アブラハムのことを「信仰者の原像」と語られたそうです。信仰者の根源的な姿ということです。アブラハムの信仰はテストされました。一つは愛情のテスト、もう一つは信仰のテストでした。神より息子イサクを愛してはいないか!?そのイサクを燔祭としてささげなさいとの神の命令は信じ難いものでした。「約束の子イサク」でしたから!しかしアブラハムは従いました。それが神の命令でしたから。モリヤの山上で祭壇を築き、たきぎを並べ、その上にイサクを縛って載せ、今にも刃物をもって殺そうとした瞬間!主の使がアブラハムを呼び、手をかけるなと言いました。あなたが神を恐れる者であるとわかったからと!アブラハムが目をあげて見ると、うしろに角を藪にかけている一頭の雄羊がいるのを知り、イサクの代わりに燔祭としてささげたのでした。アブラハムはその所「アドナイ・エレ」と呼び、「主の山に備えあり」とあかししたのでした。

<お知らせ>

▷『信仰の父』が続出しますよう祈ります。

▷恒例の第8回チャペルコンサート~ゴスペル・ジャズ・祈りのうた~本日13:00~15:00 北原兄とチームの皆さんによる素晴らしい演奏に大いにご期待ください!!

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