8月や 6日9日 15日 2021.8/8㈰

≪今週のみ言葉≫

「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。」 ヨハネの福音書15章5節

説教題:主はぶどうの木   聖 書:ヨハネの福音書15章1~8節

8/3㈫4㈬と第122回関西聖会が、岸之里キリスト教会と、オンラインにて行われ、牧師は4回の聖会で大きな恵みを頂きました。教会に集われた方々は少数でしたが、ご家庭で視聴された方々もあり幸いでした。You tubeですので「第122回関西聖会」で検索すればなお視聴できると思います。ぜひ恵みに与って下さい。‘GREAT I AM’シリーズその5です。これにてひとまずこのシリーズは終了です。「わたしはぶどうの木」

‘I AM the vine,’です。

Ⅰ.まことのぶどうの木 ‘I AM the true vine,’(1)とあります。「ぶどうの木」は、イスラエルの民の象徴として記されています。イザヤ書5章に「ぶどうがなるのを心待ちにしていた。ところが、酸いぶどうができてしまった」(2)「万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植えたもの。主は公正を望まれた。しかし見よ。流血。正義を望まれた。しかし見よ、悲鳴。」(7)とあるごとく、イスラエルが神の願いに反して悪しきぶどうの実を結んでしまったことが告げられています。それに対して、主イエスは、「わたしは(このわたしこそ)まことのぶどうの木」であると言われます。「まことの」の言語(ギリシャ語)は模型に対する実物を指す意味で使われています。主イエスこそ神の約束を真実に実現されるお方であるのです。そして「わたしの父は農夫です」(ヨハネ15・1)と父なる神を、実を結ばせるために、愛情を持ってぶどうの木を世話する農夫として紹介しておられます。

Ⅱ.多くの実を結ぶ枝 ‘you are the branches.’(5)「あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(5)木は枝を張り、そしてその枝に実がなります。キリストを信じる私たちは枝に譬えられています。当然のごとく、木(幹)は枝を必要とし、枝は木を必要とするわけです。そしてその関係が「とどまる(口語訳では、つながる)」(abide)という単語で表されています。これはイエス様との≪いのちのつながり≫を表し、イエス様の内に≪とどまり続けている≫ことを表しています。新しく生まれ変わった者として、また古い人を十字架につけて、聖霊によってイエス様のきよいいのちに満たされ続けて生きることを表しています。そのようにして、うるわしい品性、人格、そして救霊の実を結ばせて頂けるのです。おいしいぶどうの実がたわわに実るぶどう畑(教会)にして頂きたいものです! 「御霊の実」(ガラテヤ5・22-23)を歌った「四季の歌の替え歌・新改訳2017版」です。口語訳版は長島幸雄師(1913.5/25~1986.2/27)によるものでした。

             『神を愛する人は』 (2021.7/8㈭)

1.神を愛する人は 心清い人  愛と 喜び 平安の実に 満たされた人

2.御子を愛する人は 心低い人  寛容、 親切、 善意の実に 満たされた人

3.御霊を愛する人は 心強い人  誠実、 柔和と 自制の実に 満たされた人

4.聖書を愛する人は 心燃える人 祈って 献げて 奉仕をする 満たされた人

<お知らせ>

▷8/6(広島)、8/9(長崎)、8/15(終戦)、76年を迎えました。

▷記録映画『東京オリンピック』(市原崑監督)最後の場面、消えていく聖火に重ねられた字幕を思い出す。<人類は四年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか>祭典に浮かれるのではなく、争いの絶えない世界の現実を冷徹に見つめている。五輪が演出する平和とは「創られた夢」なのだそうで、夢を夢で終わらせてほしくないという映画人の気持ちが伝わってくる。       ―――讀賣新聞・編集手帳8/6㈮、一部抜粋。「実に、キリストこそ私たちの平和です。」エペソ人への手紙2章14節

▷8月も7月と同じ形での礼拝他を祈り願っています。コロナの終息を切に祈りつつ。

This entry was posted in 今週のお知らせ. Bookmark the permalink.

Comments are closed.