羊飼いの詩篇を学びました。 2021.5/16(日)

≪今週のみ言葉≫

  「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」詩篇23篇1節

   説教題:『主は私の羊飼い』

   聖 書:詩篇23篇1節~6節

   「ダビデの賛歌」である、この詩篇23篇は、今から3,000年前、羊飼いの少年であったダビデが、やがて神の油注ぎを頂いて、イスラエル第2の王となって、神を讃えたものです。C・H・スポルジョンは、これを「真珠の詩篇」と呼び、欧米のクリスチャン家庭では、子どもたちにまずこの詩篇を暗唱させました。私たちも『新改訳2017』でチャレンジしましょう!

 Ⅰ.満ち溢れる恵み(1~4) 「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」(1)長島幸雄師はこれを四字熟語で「常時盈満」(じょうじえいまん)と表現しました。いつも恵みが盈(み)ち満ちているということです。羊飼いと羊たち。羊は弱い動物です。近視眼であるため迷いやすく、何の攻撃の武器も持ち合わせていません。羊飼いのいない羊は死んだも同然です。ダビデはその関係を、自分と神様に当てはめました。神様は私の羊飼い。私は神様の羊(果たして、善い羊だろうか?と内省させられました)。「緑の牧場」「いこいのみぎわ」それは教会です。そこでおいしい牧草(みことば)と、新鮮な水(聖霊)の恵みに与るのです。そして魂が生き生きとリバイブ(回復、復活)され、間違いなく義の道へと導かれていきます。4節で舞台は暗転します。B・F・バックストン師は「1~3節までは救われた誰もが歌えるけれど、4節以下は、きよめられた人のみが歌うことができる」と言われました。イスラエルには「死の陰の谷」と呼ばれるような恐ろしいところがあり、猛獣がしばしば羊を襲ったとのことです。誰しも、クリスチャンであっても人生途上でそうした「死の陰の谷」を経験します。また実際に肉体の死を迎える時も来ます。しかし、スポルジョンは言います。「それは死の陰(shadow)だから、恐れることはありません」と!こうした時こそ信仰者(羊たち)は、羊飼い(神様)を普段以上に近く覚え、呼びかけが3人称単数の「主」から、2人称単数の「あなた」へと変わります!「あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」羊飼いはむちで獣を追い払い、「よりかかる、支える」杖で羊を正しい安全な道へと導きます。羊たちにとっての大きな慰めです。

 Ⅱ.追いかけて来る恵み(5~6) ここから場面が変わります。羊と羊飼いの場面から、客人と客人をもてなす主人となります。よりにもよって敵前で誰が宴会を開くでしょう!?しかし、主ご自身がバリアを張って守って下さり、食事をもてなして下さるほど安全なのです。ここでの香油注ぎは「喜びと歓迎のしるし」であり、主の恩寵にあふれるとの告白です。牧羊群にはたいがい牧羊犬がついています。「いつくしみ(善・良いこと)」と「恵み(ケセド、永遠の愛)」という二匹の牧羊犬が私を追って来るでしょう。ですから「私はいつまでも主の家に住まいます。」(6)私たちも「生涯のあらゆる日々」臨在の主と共に住まうのです。

<お知らせ>

▷5/13㈭はキリスト昇天記念日でした。天に帰られたキリストを500人以上の人々が目撃しました。そのうち120人ばかりの人々が、2階座敷(アパルーム)にて聖霊降臨待望の熱き祈りをささげ、10日目(今年は次週5/23㈰)に天よりの聖霊が注がれ、ペテロの説教により3,000人がキリストを信じ「教会が誕生」しました。私たちもペンテコステ聖日を祈りをもって待ち望み、キリストの証人として力強く生かされ、用いられたいものです。

▷揺れ動く世にあって、唯一確かな神のみ言葉に堅く立ち、すべてをご存じで、唯一正しい裁きをされるお方に日々、祈るのみです。詩篇46篇

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