自然界はよみがえりの春です。2021.4/18(日)

《今週のみことば》

「あなたはわたしの愛する子.わたしはあなたを喜ぶ」 ルカの福音書3章22節

今週から3回に亘ってカリキュラムは「キリストの宣教」となります。「宣教の初め」といってもいいでしょう。4月に入り、新年度を迎えました。進級したお友達、さらには次の学校へ入学したお友達にとってはまさに新しいスタートです。今日は「イエス・キリストの受洗」また「信じる私たちの受洗」についてです。信仰生活への大切なスタート地点のお話しです。

Ⅰ.イエス・キリストのバプテスマ(受洗)(ルカ3・21,22)(マタイ3・13~17)

30歳になるまで両親に仕えられたイエスが、いよいよ公生涯・宣教活動に立つ時を迎え、まずはそのスタートとして「バプテスマを受けられた」(21)のでした。授けた人はバプテスマのヨハネでした。彼は「悔い改めのバプテスマを水で授けて」(マタイ3・11)いました。しかし、全く罪のないイエス様にとっては洗礼を受ける必要はありませんでした。しかもヨハネからしたら「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか」(マタイ3・14)と驚きでした。しかしイエスは、「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」(マタイ3・15)と言われ、ヨハネは言われた通りにしました。<それはご自身が罪人の立場に降りられ、すべての人の罪を身代わりとなって背負われることを示すことであったと解することができる。>(「牧羊者Ⅰ」P.30)洗礼を授けられたイエスが水から上がられて、「祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。」(22)のでした。「すると、天から声がした。『あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。』」(22)何と麗しい光景だったことでしょう!この「天からの声」もちろん愛し寄り頼む父なる神の御声は、イエスにとって大きな力でした。

Ⅱ.私たちのバプテスマ(ローマ6・3~6、コリント人への手紙第二5・17)

罪を持って生まれた私たちにとっては、バプテスマのヨハネの洗礼、「悔い改めのバプテスマを水で授けて」頂く必要があります。そして「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」(ルカ3・8)必要があります。私たちを悔い改めと洗礼に導くものは何でしょうか?それは『父なる神の愛、子なるキリストの愛』なのです。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネ15・9)とイエスは言われました。≪わたしの愛=キリストの愛≫とは?「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15・13)とイエスは語られました。≪最大・最深の愛≫です。更には「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヘブル13・5)と言われる≪永遠の愛≫です。≪ギリシャ語の本来の意味を伝えることは殆ど不可能です。次のように翻訳することにします。「わたしは決して、決して、決してあなたを離れず、そして、決して、決して、決してあなたを捨てない」(ヘブル13・5)と。≫(C.H.スポルジョン『いこいの水のほとりにて』P.453,321日目より) バプテスマを受けてこのような父なる神、子なる神との愛の交わりの内に生かされ続ける幸いが備えられているのです。

〈お知らせ〉 

▷4/15(木)から新年度の「かえるクラブ」を再開しました。入学・進級という節目を迎えた子どもたちの新しい一年の祝福をお祈りします。

▷香川のコロナ感染者数も1000名を超えましたが、そのような中も神様の守りと憐れみの中で、大人子ども合同一時間の礼拝、祈祷会、役員会かえるクラブが行えています。感謝です。さらにはキリストの救いにあずかり、バプテスマにあずかり、バプテスマにあずかる方々が多数起こされますにとも祈っていますご加祷下さい。

        

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