イースターメッセージ②をお届けします。2020.4/26(日)

《今週のみ言葉》

「週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた」。マルコ16章9節

説教題:『キリストは生きておられる』 

聖書:マルコ16章9~11節 (ヨハネ20・1~18)

「週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた」。 マルコ16章9節

 復活されたキリストは、まず誰に一番にあらわれたのか!?

Ⅰ.キリストは誰にあらわれなかったのか。

 人間的な気持ちから言えば、十字架を決定したポンテオ・ピラトや、嫉妬でキリストを断罪し、群衆をそそのかした大祭司や長老たちや、嘲り、ののしり、キリストを痛めつけた兵卒たちや、また群衆たちの前に、「どうだ!見たか!」と言わんばかりにキリストがあらわれてもおかしくはないでしょうし、むしろ、人間的な思いからすれば、どんなにか胸のすくような事態に思えるでしょう。しかし、キリストはこれらのどの人の前にもあらわれられませんでした。

Ⅱ.キリストは誰に一番にあらわれたのか

 しかも、「第一番に」復活のキリストにお会いできたのは誰だったのか!?「まずマグダラのマリヤ」とあります。聖句に続いてマルコは記します。「イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある」と。マグダラのマリヤにとっては、キリストは命の恩人であり、感謝と愛の対象でした。どこまでもキリストに従いたいと願っていた人であり、終りまで愛を持ってお仕えしたいお方だったのです。ヨハネがこのマリヤの心情をマリヤのセリフで表現しています。「だれかが、わたしの主を取り去りました」(ヨハネ20・13)「わたしがそのかたを引き取ります」(同20・15)。 ペテロとヨハネは空の墓を見て立ち去りましたが、マリヤの主への愛は、彼女をそこにとどめ、ついに第一番に復活の主とお会いできたのでした!<エレミヤ29・11~14、箴言8・17> 今も復活のキリストは生きておられ、愛し、求め尋ねる者に出会って下さいます。今、このような時、キリストにお会いしようではありませんか!?

<お知らせ>

◇自粛・自宅礼拝第2週です。各家庭礼拝の祝福を心よりお祈りします。

◇4月も今週をもって終ります。週末には「今月のメッセージ」「5月のお祈り」「ヘッダー(カーネーション)が更新されます。

◇続いて新型コロナウイルスの終息を祈ります。

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