第4回目の自宅礼拝となりました。2022.8/14(日)

≪今週のみ言葉》

「私が仕えているイスラエルの神、〔主〕は生きておられる。」列王記第一17章1節

 

 説教題: 生きておられる神       聖書:  列王記第一17章1~16節

「私が仕えているイスラエルの神、〔主〕は生きておられる。」 

                                 列王記第一17章1節

今日から、旧約の預言者の記事からの学びです。BC約870年~850年、イスラエルでは悪王アハブとイゼベルが国を治め、偶像崇拝で、神のみこころを痛めていました。そこにつかわされた予言者がエリヤで、「生きておられる神」を力強く示す必要があったのでした。申命記11・16の如く、偶像礼拝者のためには、天が閉ざされ、雨も露もないとの神の宣言に堅く立って、エリヤは、生きておられる神に祈り、宣言しました。「エリヤは私たちと同じ人間でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六ヵ月の間、雨は地に降りませんでした。」(ヤコブの手紙5・17)

Ⅰ、生きておられる神による養い(2-7)。神はエリヤをケリテ川のほとりに導かれました。「あなたはその川の水を飲むことになる。わたしは、烏に、そこであなたを養うように命じた。」(4)「そこでエリヤは行って、主のことばどおりにした。」(5)のでした。不思議なことに、いえ、実は、神が言われた通りに何羽からの烏が、朝に夕に、エリヤのもとにパンと肉を選んで来たのでした。エリヤはそれらを食べ、川の水を飲んで養われました。ところが、当然、露も雨もないのですから、ケリテ川の水も涸れたのでした。神学校で教えて下さった向後昇太郎先生は、小柄な先生でしたが、大声で叫ばれました。「エリヤは川が涸れるまで、いや、涸れてもそこにいたんだ!」信仰をもって主の次の言葉を待ったのでした。

Ⅱ、生きておられる神の尽きない恵み(8-16)。

神はご存知であり、エリヤの信仰と祈りにこたえて、「彼に次のような主の言葉があった」(8)と記されている通りに導かれました。しかし、そこは、異邦のシドンのツァレファテであり、よりにもよって「一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」とのおことばでした!しかしエリヤは言われた通りツァレファテへ行きました。ところが驚くべきことに、やもめと一人息子は、最後の食料を食べて死のうとしていたのでした!エリヤは、まず自分に水と菓子をくれるようにと言い、主の約束のことばを告げました。「そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。」(14)。彼女がエリヤのことばとおりにしたところ、「主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。」(16)のでした。エリヤの神は、また私たちの神です。ハレルヤ!

<お知らせ>

▷本日から、8月一杯、「自宅礼拝」となりました。それぞれのご家庭での礼拝が守られ、祝されますように。お祈り下さい。

▷9月からのことは、8月の役員会にて話し合って決めます。願わくは、また共に集っての礼拝、教会学校が持てますようお祈り下さい。

▷「自宅礼拝」中も、祈祷会、役員会。「プロジェクト希望にむかって」委員会は行います。

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