教団創立71周年記念を迎えました2022.7/24(日)

≪今週のみ言葉≫

「いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」ルカの福音書15章4節

  説教題: 『大切なひとり』  聖 書:ルカの福音書15章1~7節

   

このルカの福音書15章には、重要なたとえ話が三つ並べられています。いずれも《失われたものが見つかった喜び》がテーマです。一つは《失われた一匹の羊》、二つめは《失われた一枚の銀貨》、三つ目は《失われた一人の息子》です。1,2節は大切な導入部分です。《失われた人に対しての視点》が重要なのです。《失われた人に対して》

Ⅰ.パリサイ人・律法学者の視点。導入部分でわかります。「さて、収税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。するとパリサイ人たち、律法学者たちが『この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている』と文句を言った。」(1、2節)この「文句を言った」というギリシャ語は、通常の「つぶやく」よりも強調された言葉です。他には19章7節で、イエスがザアカイの家に入るのを見て、「文句を言った」というところにのみ使われています。彼らパリサイ人や律法学者たちにとって、言わば、《失われていた人々》とは、《罪人たち》でした。【道徳的な法を破った人というだけにとどまらず、パリサイ人や律法学者たちが実践した儀式的洗浄規定を守らない、守れない人々をも含んだ言葉であろう。あるいは律法を知らない人々に対してもこの言葉が用いられた。】(『牧羊者』P37、38)ですから「受け入れて、一緒に食事をする」などということは、彼らにとってはとんでもないことでした。

Ⅱ.良い羊飼いなる主イエスの視点。「そこでイエスは、彼らにこのようなたとえ話をされた。」(3)のでした。それが《失われた一匹の羊》のたとえです。旧約聖書においては選民イスラエルが羊にたとえられ、羊飼いである神が失われた羊を探し出す存在です。(エゼキエル書34,イザヤ40・11)。新約聖書では、イエスご自身が、「わたしはよい羊飼です(牧者です。)。」(ヨハネ10・11)と語られます。100匹の羊のうち、1匹がいなくなったら、「その人は匹を九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」(4)というのが、イエスの視点でした。「当然捜し歩くにきまっています。」との含みであり、その視点から出る行動でした。「見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ」(5)とありますから、失われた羊は、さまよい歩き周り疲れ果て、もう一歩も歩けず、帰れない状況だったのでした。それから、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』(6)と、家に戻って、友人や近所の人たちを呼び集めて、共に喜ぶというのです。たとえの結論が、7節です。「それと同じように、一人の罪人が悔改めるなら、悔改める必要のない九十九人の」正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。」(10節および19章10節も同様。)九十九人は、すなわち自称義人をきめこむ」パリサイ人・律法学者たちです。「一匹の羊、一人の罪人」を探してくださる良い羊飼いなる主の愛を味わいましょう。新聖歌217番「九十九匹の羊は」(D.Lムーディと働いたイラ.D.サンキー作曲)は名曲です。

<お知らせ>

▷過ぐる7/20(水)は、日本イエスキリスト教団創立総会が神戸中央教会で行われていて、71周年を

 迎えた記念日でした。初代委員長.小島伊助師、24の教会で教団がスタートしました。【臨在信仰】

 (出エジプト記33・14)のもとに主の再臨の時まで、教団が神の栄光の道を進んでいけますよう

 お祈りしていきましょう。

▷子どもたちは夏休みに入りました。あらゆる面で守られ、日曜日の教会学校に多くの子どもたちが

 集えますようお祈り下さい。

▷日本のために世界のために、祈りの手をあげ続けましょう。

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