厳寒の候、霊肉の守りを祈ります。2022.2/20(日)

≪今週のみ言葉≫

「彼らにはモーセと預言者がいる。その言うことを聞くがよい。」ルカの福音書16章29節

説教題:『天国に備える』   聖 書:ルカの福音書16章19~31節

<人はどこから来て、何のために生きて、死ぬとどうなるのか?>これは幼い時から、二十歳の秋に十字架のキリストに出合うまで、私の心の内を大きく占めていた疑問でした。今日のテキストからは、<死ぬとどうなるのか?>との問いに厳粛かつ明確な答えを頂きます。『金持ちとラザロ』の話であり、「金銭を好むパリサイ人たちは、これらすべてを聞いて、イエスをあざ笑っていた」(14)とありますので、この『金持ちとラザロ』の話は、特にパリサイ人たちに向けて語られたものでした。しかしまた全人類に向かっての神のみことばです。

Ⅰ.生前の両極端(19~21)

ある金持ちは「紫の衣や柔らかい亜麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」(19)のでした。詳訳聖書では、「毎日はでにどんちゃん騒ぎをしていた」とあります。彼は別にこの世の法律を破ったりするようなことをしたわけではありませんでした。ところが「その金持ちの門前には「ラザロというできものだらけの貧しい人が寝ていた。」(20)のでした。この人はろくに食べ物も与えられず、「金持ちの食卓から落ちる物で、腹を満たしたいと思っていた。」(21)のです。おまけに「犬たちもやって来ては彼のできものをなめていた。」(21)というのです。犬はユダヤ人には、あたかもネズミやその他の有害な動物であるかのように見なされていましたので、このラザロの惨めな状態は頂点に達していました。この金持ちは、ラザロをみじんもかえりみることなく、自分のためだけに生きていたということです。実践すべき隣人愛のかけらも見られなかったわけです。

Ⅱ.死後の大逆転(22~31)

「しばらくして、この貧しい人は死に、御使いたちによってアブラハムの懐に連れて行かれた。」(22)ラザロは誰にも看取られることなく、あるいはその遺体は、野良犬のように捨てられたのかもしれません。ところがラザロ自身の霊魂は御使いに連れられて、アブラハムの懐に導かれたのでした。天の祝宴におけるアブラハムの臨席という、非常に名誉ある場所です。楽しい安息の場所、パラダイス(天国)です。ラザロという名は、エルアザルの短縮形で、「神はわたしの助け」の意味です。彼は貧しさの中にも神を信頼して歩んだのでした。「金持ちもまた死んで葬られた。」(22)盛大な葬儀が執り行われたことでしょう。ところが金持ちは「よみで苦しみながら目を上げる」始末でした(23)。「よみ」「ハデス」とは「死者が終末のさばきを待つ中間状態」最終的に「ゲヘナ」は「神の究極の裁きにより罪人が入れられる苦しみの場所」であり、「地獄」です。パラダイスとハデスの間には大きな淵があり、行き来不可能です。金持ちはラザロを家族に送って警告してくれるよう願いますが、本日のみことばが語られます。現に、ベタニヤのラザロの復活を目撃したからといって、すべての人がキリストを信じたわけでもなかった。人の心の何と頑固な状態でしょうか。しかし、なお神は「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(ペテロ第二3・9)何という《神の忍耐と愛》!!(『ベラカ』2/16㈬)今どう生きるかが『天国に備える』ことになるのです。どうぞ良い備えを。

<お知らせ>

▷1967年2月26日(日)、今から55年前のその日、厳寒・最暗黒の私の魂に、神の愛の一条の光が射した!スタンレー・ジョーズ博士講演会からの帰路、夜道を自転車で帰宅していた途中でした。今も鮮やかに心によみがえります。それから55年、変わらない神の愛の内に導かれて、今日あること。感無量です。

▷「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたたがに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(ペテロの手紙第二3章9節)上記説教概要にも記しましたが、今、終わりの時代、神の忍耐の恵みの内に≪救霊≫という愛の炎に燃やされて、祈り、福音を伝えたいです。

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