子ども祝福礼拝でした。 2021.11/14㈰

≪今週のみ言葉≫

  「イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。」

ヨシュア記3章17節

 説教題:『信仰による前進』   聖 書:ヨシュア記3章1~17節

先週水曜日の夜半、そして木曜日には断続的に激しい雨が降り続きました。どこかで水害が起こるのでは?と考えてしまい、思わず祈ったことです。さて、モーセからリーダーシップを委ねられたヨシュアにとって、今日のところは、神による証しと見えるできごとです。神による約束の地「カナン」進入のための試金石でした。

Ⅰ.信仰によって渡る 「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたと大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」(7,8)との主からヨシュアへのおことばは、ヨシュアにとって何という大きな励ましであったことでしょうか。「ヨルダン川は刈入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。」(15)とあります。4月初旬の頃で、この時期はヘルモン山からの雪解け水でヨルダン川は岸まであふれていて、その流れも非常に激しかったのです。契約の箱を担いだ祭司たちが、民の先頭に立って進みました。主の臨在が先頭に進んだのでした。箱と民との距離は2千キュビト(約900m)、それは主への畏れを、心に抱くことを示し、民は身も心もきよく備えるよう命じられました。純粋な信仰が要求されたのです。モーセと共に紅海を渡ったときとは全く違いました。主のみ言葉への完全服従がヨシュアにも民にも要求されました。ヨルダン川の現実を目の当たりにしてもです。お言葉通り、祭司たちの足が水際の水に浸ると、川上から流れ下る水がアダムの町あたりで立ち上がり、流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡りました!

Ⅱ.全員で渡る 「イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。」(17)その間、「主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった」(17a)ままでした。祭司たちも主のみ言葉に最後まで従い抜いたのでした。この「全員」とはどういう人々だったのでしょうか。かつて約束の地の偵察につかわされた12人のうち、不信仰の報告をした10人は含まれていません。また、彼らに同調した20歳以上の登録された者たち全員も含まれていません。彼らは「荒野に屍をさらす」と主から申し渡されたのでした。(民数記14・30~38)。ただヨシュアとカレブ、そしてそのときの彼らの子どもたちでした。主を畏れ、信じて従うことの厳粛さと祝福を深く味わいたいものです。

<お知らせ>

▷週報4頁の「礼拝説教概要」は子ども向けのものではありません。「子ども祝福合同礼拝」そのもののメッセージは「子ども向け」です。VISUAL(視覚教材)も用います。CD録音は音声だけですが~。子どもたちの心によくわかり、届くように備えました。神様の助けと祝福にゆだねます。

▷次週11/21㈰9:40~10:00短い時間ですが「子どもたちにわかるお話」中心の教会学校再開です。

多くの子どもたちの出席をお祈りしています。CSの先生方のご奉仕も祝されますように!

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