神の恵みによって、共に集っての礼拝でした。2021.10/10(日)

≪今週のみことば≫

「わたしに何をしてほしいのですか。」ルカの福音書18章41節

説教題:『信じて祈る』   聖 書:ルカの福音書18章35~43節

《人生は出会いで決まる》よく聞く言葉であり、それはまた事実であると共に、不思議の一つだと思います。最高最大の出会いは、何と言っても救い主イエス・キリストとの出会いです。一人の人が目に見えないこのお方と出会う、そこには大きな感動があります。10月は「キリストとの出会い」がテーマです。一人の目の見えない人と、キリストとの出会いから、主の御心を知りましょう。

Ⅰ.信仰による切なる求め

エリコにイエスが近づいた時の出来事でした。エリコはエルサレムから約27㎞東にあります。「一人の目の見えない人」(35)を、並行記事のマルコは、彼の名をバルティマイと記しています(マルコ10・46)。目の見えない人の聴覚や触覚は鋭いものがあります。群衆の動きを察して、彼は、これは一体何事かと尋ねました。ナザレ人イエスがお通りになるのだと人々から知らされて、彼は大声で叫び始めました。「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と。周囲の人たちは彼を黙らせようとして、たしなめました。「ダビデの子」とは、救い主の称号であり、この目の見えない人は、これまでイエスが目の見えない人を癒やされたことや、他にも多くの癒やしをされたことを聞き及んで信じるに至ったと思われます。そして自分の上にもその恵みとあわれみをと求めたのでした。しかし周りの人には、この「ダビデの子」という民族主義的な匂いのする叫びが、ローマ当局を刺激するのではという恐れもあり、たしなめたのでした。しかし、この人の叫びはますます激しいものとなりました。「ダビデの子よ、私をあわれんでください!」と。彼は周囲の圧力に屈しなかったのです。むしろますます自分の持つ唯一の手段である「声」を用いて、自分を癒やす力を持つと信じるイエスに叫び続け、肉迫していったのでした。

Ⅱ.信仰にこたえてのみわざ

「わたしに何をしてほしいのですか。」(41)目の見えない人が、祈り求め叫ぶとしたら、何をしてほしいかは明確だったでしょう。しかしイエスは敢えてこう尋ねられます。願いを明確にして祈るようにということです。「主よ、目が見えるようにしてください。」(41)「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」(42)「その人はただちに見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。」(43)のでした。「ダビデの子」としてのイエスへの信仰告白と共に、彼が叫ぶのをたしなめ妨げようとした群衆の圧力に屈しなかった彼の粘り強さ、根気強さを、彼の信仰とイエスが認めたのでした。彼は心の眼も肉眼も開かれて、神をあがめ、賛美しつつ、弟子としてイエスに従いました。何という大きな人生の転機だったことでしょう!きょう、私たちの「切なる求め・祈り」は何でしょう?根気強く叫び求め続けましょう。

<お知らせ>

▷先週は7週間ぶりに集っての礼拝でした。子どもたちは11/7(日)まで大人と合同の礼拝なのですが、幼稚園生2名、小学生3名、中学生2名が集ってくれて大きな喜びでした。その内の一人のお母さんが礼拝に初めて一緒に来て下さったのも感謝でした!

▷今週木曜日、10/14から待望の「かえるクラブ」が再開されます。9月のお休み中もまちがえて、お友だちがきてくれた週が2度もありました。申し訳なかったのですが、とても嬉しい思いでした。いよいよ始まるよ!!

▷子どもたちの成長は速いです。幼いうちに信仰が与えられ、洗礼を受け、教会の大きな力となり、さらには、その中からフルタイムの献身者を祈ります。

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