9月最終、第Ⅲ回目 第6週目の自宅礼拝でした。2021.9/26(日)

≪今週のみことば≫  「この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。」ルカの福音書7章47節

説教題:『罪赦された者として』      聖 書:ルカの福音書7章36~50節

1979年9月26日㈬、今から42年前のきょう、32歳の時、英国での学びを終えて、ヨハネ12・24のみ言葉を頂いて帰国しました。「どれほど自分に死んで実を結んだ一年であったか、主と魂への愛はどれほど深められた一年であったか」と毎年、主のみ前に振り返る記念日です。本日のテキストも、私たちをして、初めて頂いた「罪の赦し」についての確認ともなり、更には今どのように主を愛し、主に仕えているのかが量られるものです。

Ⅰ.多くの罪を赦されて(38~43)。

 意外なことに一人のパリサイ人、名はシモンという人が、一緒に食事をしたいと言ってイエスを食事に招きました。イエスが食卓に着くと、その町に一人の罪深い女がいて、イエスがシモンの家で食卓についておられることを知って、香油の入った石膏の壺を持ってきて髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った」(38)のでした。シモンはそれを見て、心の中で思いました。「この人がもし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」(39)と。イエスは彼の心の内を見抜かれて、一つのたとえ話をされました。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。それでは、二人のうちのどちらが金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。」(41,42)「より多くを帳消しにしてもらった方だと思います」とシモンが答えると、イエスは、「あなたの判断は正しい」と言われたとあります(43)。実はこの女はすでに罪の赦しを確信していたのです。〔イエスの語られた福音が、彼女の罪のゆるしを確信させたと思われます。彼女は自分がいかに罪深いものであるかを知っており、罪が赦される資格さえない者であると思いました。しかし、イエスの権威ある救いの言葉を聞いた時、自分の罪が赦されたことを確信し、それが躍り上がるほどの喜び、溢れる感謝であったことでしょう。罪を深く自覚する者にだけ、イエスの言葉は、良い知らせ、喜びに満ちた福音となって届くのです。〕(『牧羊者』P.86)

Ⅱ.多く愛したのです(36~38,44~50)。

イエスが彼女の方を向き、シモンに言われた、二人を比較してのみことばが44~46節です。彼女は町中で、罪の女と知られていたので、シモンの家に入って、しかもイエスの足もとに近づくだけでも、人々の冷ややかな蔑みと非難の視線を痛いほど全身で感じ取っていたことでしょう。しかし、多く赦された者として、イエスに対する感謝と愛がそれに打ち勝ちました。そして、涙で足をぬらし、自分の髪の毛でそれをぬぐい、口づけし、頭にオリーブ油を塗り、足に高価な石膏の壺に入った、高価な香油を塗るという奉仕をささげました。そして、イエスから、「あなたの罪は赦されています」(48)、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」(50)。との確証のみことばを頂きました。今、私たちの「罪の赦しの自覚」は?「主への愛の深さ」「奉仕への熱情は」?

❛We cannot love too much,❜(私たちはあまりにも愛しすぎるということはありません。)(アイルランドから、インドのドノヴァ―孤児院への宣教師、エミー・カーマイケルの言葉。)

<お知らせ>▷10/1(金)には、「今月のメッセージ」「今月のお祈り」「ヘッダー(ざくろ)」が更新されます。

▷本日13:00からの役員会にて、10月からの礼拝再開について検討いたします。このページには決定後追伸として載せます。

▷次週10/3(日)は、「教会創立72周年記念聖餐式礼拝」です。願わくは共に集って、主への感謝と喜びの礼拝となりますよう、お祈り下さい。

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