11/7(土・立冬)、暦の上では冬に入りました。 2020.11/15(日)

≪今週のみ言葉≫

「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」マルコ10章52節

説教題:『何をしてほしいのか』  聖 書:マルコ10章46~52節

先週の礼拝後は、お向かいの亀田家の柿の収穫をさせて頂き本当に感謝でした!人間界は新型コロナウイルスの第三波で大変な状況ですが、自然界は神の恵みによる実りの秋です。さて今日は「霊界」の話となります。

 Ⅰ.見えていなかった弟子たち(10・35~41 先週のテキスト)

 実は今日見る「バルティマイの癒し」は、単に癒しの奇跡が中心なのではなく、いかにしてこのバルティマイがイエスの弟子になったかが主要点なのです。癒しの記事の中で、このバルティマイの名だけが記されていることからもそのことがわかります。12弟子は勿論肉眼は見えていました。しかし「霊の眼」は残念ながら「見えていなかった」のでした。「何をしてほしいのですか」(36)とイエスに言われて、ヤコブとヨハネは、主が栄光をお受けになる時、右と左に座らせて下さいと、まことに並外れた自分たちへの栄光の願いしか出て来ませんでした。

 Ⅱ.見えていたバルティマイ(10・47~52 本日のテキスト)

 バルティマイは目の見えない物乞いでした。エリコを出たところ「道端にすわっていた」(46)のでした。彼は多くの群集の動きを察し、そこにナザレのイエスがおられると聞いて、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんで下さい」と叫び始めた(47)のでした。人々が「ナザレのイエス」と呼んでいた方を、バルティマイは「ダビデの子」と呼びました。それはメシヤ(救い主)の称号でした。「私をあわれんでください」との叫びも霊の眼の啓かれたバルティマイの信仰のあらわれでした。値なき、欠けだらけの者をも一方的なメシヤのあわれみによって救われるとの信仰でした。彼はイエスこそ約束のメシヤだと確信していたのでした。ですから人々が彼を黙らせようとしましたが、彼はひるむことなく、ますます激しく叫んだのでした。『この激しい叫びを生んだのは、おそらく、目の見えない人生へのバルティマイの絶望である。しかし、その絶望がイエスの切なる信仰への戸口となった。』(「牧羊者」P.55) 彼の叫びを聞いてイエスは立ち止まって、「あの人を呼んできなさい」と言われました(49)。この49節の中に、3回も「呼ぶ」と言う言葉があります。まさにマルコ1章での、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの召命の場面を想起させるものです。呼ばれたバルティマイは、上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来ました。「わたしに何をしてほしいのですか」「先生、目が見えるようにしてください。」(51)「先生」とは「ラボ二」で、しばしばこの呼びかけは、神への祈りの呼びかけとして用いられます。バルティマイの信仰は、不可能事を可能にされる神の力(10・27)への完全な信頼、その望みをはっきりと誠実に言い表しました。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました」(52)との宣言により、彼は肉眼も見えるようになり、「道を進むイエスについて行った」(52)、すなわち、正真正銘、主の弟子として、同行していったのでした。今日私たちの祈り願いも、主の弟子として「霊の眼が見えるようにしてください」ではないでしょうか?

<お知らせ>

▷昨日11/14(土)10:00~13:00 いのちのことば社「ゴスペルボックス21号車」が当教会に来てくださいました。沖縄那覇書店の店長、中村信義̪氏が大阪から引き継いで来られました。外からは大人4名、子ども3名の計7名、内からは大人10名、子ども6名の計16名、合計23名が来店、読書の秋にふさわしくそれぞれよいお買い物をされ、本当に感謝でした!おいしいおやつと交わりも感謝でした!来年はイースター前の3月に来られます。

▷11/21(土)と28(土)とで、今年もイルミネーション取り付け準備をし、Ⅰアドベントの11/29(日)17:00~17:30「クリスマス点灯式礼拝」を行います。Withコロナの中も対応しつつ、共に恵みのアドベント、クリスマスをお迎えしましょう!!

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