『私が迎えた人生最良の日』

これは、教会のご案内に掲載している当教会の小野淳子牧師のイエス・キリストとの出会いの証言(あかし)です。
少し長いですが、是非お読みください。

ー両親の離婚から味わった失望ー
私は、1947年(昭和22年)1月13日、岡山県都窪郡庄村山地という田舎にある、キリスト教とは何の縁もない家に生まれ、育てられました。2歳9ヶ月 のとき、両親の離婚。私が小学校1年生に上がる直前に継母を迎えましたが、父母は都合により別の所に住み、私は父方の祖父母に育てられました。
ゆえに、肉親の父や母の愛を、言わば、受けそこねた、愛に飢えた者として成長していきました。十歳の時、祖父母の計らいで実母と涙の再会。その後、父母に 内緒で、実母と会っているうちに、子どもなりに、”失望“を味わいました。それは、実母と心の話を交わすことができなかったゆえです。
「十年も離れていたのでダメなのかなぁ。血のつながりって何だろう?本当の愛とは?」との疑問が広がりました。
また当時、夜になると死に対する恐れも少なからず覚えていました。次第にその疑問は「自分はどこからきて、何のために生きて、死んだらどこへ行くのだろ う?ほんとうに善いことは、悪いことは、真理とは何だろう」と絶えず頭と心にまとわりつくようになりました。友人と話したり、本を読んでも何の解決もありません。

ー実母の死で知った孤独ー
唯一の望みとして、大学生活がありました。何か一つのことをつきつめれば、きっと真理に出くわす、と油絵の道を選び受験、合格、入学しました。私の前にバラ色の人生が開かれるとの期待もつかの間、乱れた大学生活。
他人ごとではない、自分の内の醜いものに打ち勝てず、自分で自分を変えることもできず悶々とした日々でした。二年生の寒い十二月のある日、病を得ていた母 の危篤の報に、病院へ。すでに意識のない状態で翌朝亡くなりました。四十二歳で地上を去ったこの人は、一体どこへ行ったのだろう……と冷たい哲学的思いの 中で、告別式にも一滴の涙も流さない親不孝者でした。ところが、いざ母が墓に葬られてしまった時、私は自分が、世の中で一番大切な人を失った、何でも言え て、その膝で泣ける唯一の人を失ったのだと、電流に打たれたように空しさと悲しさがこみ上げ、何度も墓前に行って泣きました。

ーキリスト教との出会いー
そうした中、二十歳の誕生日を迎えた頃のことだったと思います。夜、勉強をしていてもとても手につかない。思わず外に出て、家のすぐそばの電信柱にもたれ て、声にならない声で、星空に向かい、いえ、誰かに向かって絶叫しました。「誰か、人がどこからきて、何のために生きて、なぜ死ぬのか、死んだらどこへ行 くのか、この真理を知っている人がいたら、教えてほしい!」と。誰も人は聞いていなかったのですが、神様は聞いててくださったのでした。しばらくして油絵 科の先輩にクリスチャンが二人いることを知りました。そのうちのひとり四国出身の宮地聴さんが、一枚のチラシを見せてキリスト教の集会に誘ってくれまし た。
1967年2月26日(日)。忘れもしないその日。岡山天満屋の葦川会館にて、岡山市内の教会連合による「スタンレー・ジョーンズ博士講演会」が行われた のでした。白髪の先生が通訳つきでお話されていましたが、正直言ってお話の内容は何も覚えていません。あとで先輩がお茶を飲ませてくれて、「小野さん、神 様はね、必ずよきに導いてくださるよ。必ずよきに導いてくださるよ」と繰り返し語ってくださり、その温かいことばに思わず泣き出したくなりました。ぐっと こらえて、バスに乗り、自転車に乗っての帰宅途上、忘れられない体験をしました。

ー自分の「罪」に気づいた時ー
自転車に乗ろうとしたその瞬間、私はふと自分の心をのぞいたのです。それまで私は、「私のことを愛してくれて、理解してくれて、捨てない人」がずっとほし かったのでした。というのも、中高生の頃も、若い娘さんとお母さんが仲よく歩く後姿を見ては「母はなぜひとり娘の私を捨てていったのだろう。そうでなかっ たら私の人生ももっとちがっていたのに」としばしば、悲しい思いに涙していたからです。
ところが、今自分の心を見た時、そこには祖父母へのわがままでいっぱいでした。こんな心の内を誰かが見たら絶対に愛してはくれないだろうし、自分だってこ んな者愛せない、と思った瞬間、左肩の方から上に広がっていく感じで、いや、こんな私を二十年間愛し、今もこのままの私を愛してくださる大きなお方がい らっしゃるのだと、目からうろこがとれたようにわかりました。
「愛されているんだ、愛されているんだ」と思うと、あとからあとから涙が出てきて、それをぬぐうこともしないで、美しい星空のもとを家へ向かいました。心の中で「そうだ、教会へ行こう。そしてこの愛を知ろう」と決心していました。

ー教会との出会いと受洗の決心ー
翌週3月5日(日)、生まれてはじめて神の国キリスト教会の礼拝に出席。聖書を通して語られるメッセージに、私の心は聖言と聖霊の光に照らし出されて、はじめて弁解ぬきの本に触れた思いでした。
長島先生は毎週、私の悪口ばかり言われる、とも思いました。夏になるともう「認罪」が重くのしかかり、時には恥ずかしくて顔もあげて歩けないとすら感じま した。この二十年間の汚れた生活を全く後ろに追いやって、心のそこから新しい清い人生が与えられるならとの渇き。また、交わっている教会の青年の方々はす ばらしい、でも私はまだ洗礼を受けていないから、ほんとの仲間じゃない、私も洗礼を受けたい、という単純な思いとで、受洗決心。清い神様と共に歩くのです から、これまでの罪をおわびしましょうと言われ、備えました。

ー悔い改めてイエス様と出会うー

同年9月8日(金)夕方6時半。教会の一番前の席で、長島先生のお導きのもと、生まれてはじめて神様に祈る。しかも悔い改めの祈り。
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」(I ヨハネ 1・9)
具体的な、徹底的な、涙と鼻水の悔い改め。鋭い神の光の中で、私は自分が悪い者だとは思っていましたが、こんなにも真っ黒い罪人だったのかと思い知らされ ました。みじめな思いで、それでもひとつ残さずと泣きながら悔い改める中、もうひとつの絵を神様が見せてくださいました。
それは、茨の冠をかぶって、十字架にかかっておられるイエス・キリストの上半身でした。その瞬間私はハッとしたのです。私が今までよいと思いながらやって きた、それらはみな神様を、人を、そして自分を傷つけることだった。この罪のためキリストは、十字架に死んでくださり、しかも全部の罪を背負ってくださっ て、ゆるしてくださっていると。
イエスさま、すみません…! と心の内に叫んで、その次にはあとからあとから新しい喜びの涙がこみあげました。罪の重荷が取り除かれ清い心が与えられる言い知れない歓喜でした。その祈 りの中で、「このお方についていけば、絶対正しく生きられる」ということと、「私はいつ死んでもいい」という思いが与えられました。

ー新生ー
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(II コリント5・17)
まさに新創造を体験しました。心が新しく造りかえられてしまったのでした。今までの誘惑は、何ひとつ感じられなくなり、もっと教会へ行きたい、もっと聖書 を読みたい、もっとキリストを知りたいという思い一筋とされました。もう四十四年も前のことですのに、昨日の出来事のように鮮明であり、かくまで強烈なキ リストとの出会いの与えられたこの日は、実にわが生涯、最良の日であります。

あなたもぜひ、この日をお迎え下さい!

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